IELTS 5.5、出願1校 ── モナシュ大学マレーシア校に入るまでと、入ってからの話

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候補に挙がった大学の中で、一番レベルが高いところを選んだ。

理由を聞くと、「自分より上の人に囲まれていたい」と返ってきました。小学生の頃にタイのインターナショナルスクールで英語力ゼロからスタートし、周りの背中を追い続けた経験が原点にあるそうです。ところが帰国後、今度は自分が「上の側」に回ってしまった環境でうまくいかなくなり、学校に通えない時期を経験することに。

そこから再び動き出すきっかけを作ったのは、親御さんでした。タイ時代の人脈を使って情報を集め、いくつかの選択肢を提示。その中から本人が選んだのが、モナシュ大学マレーシア校でした。

今回お話を聞いたのは、モナシュ大学マレーシア校で会計学と金融学を学ぶ大地さんです。(2026年2月取材)

INTERVIEW GUEST 大地さんの写真

「追いかける側にいるときが、一番成長できる」

大地さん

  • 大学: モナシュ大学マレーシア校
  • 専攻: 会計学・金融学
  • 出身校: ID学園高等学校(通信制)
  • 入学ルート: MUFY(ファウンデーション)→ 本課程
  • 生活費: 月8〜10万円(学費別)

大地さんが話してくれたのは、タイのインター時代のこと、帰国後に折れた経験、マレーシアを選んだ理由、IELTS 5.5を1回で取った方法、エージェントへの率直な評価、MUFYからモナシュ本課程への進み方、月8〜10万円のリアルな生活費、授業の実態、そしてマレーシアで変わったキャリア観のこと。

通信制高校から海外の大学を目指すまでの経緯と、現地での暮らしの実際を、最初から順を追って聞いてきました。

オーストラリアの名門校モナシュ大学マレーシア校に正規留学している大地さんが友人とご飯を食べているシーン
CONTENTS

タイのインターナショナルスクールで見えた世界

中学受験の挫折と、バンコクへの家族移住

大地さんが海外に目を向けるきっかけになったのは、小学生の頃にさかのぼります。

小学4年生から中学受験の勉強を始めたものの、5年生の頃にはストレスで体に湿疹ができたり、極端に腫れたりするようになったそうです。最終的には腫瘍のようなものができて手術を受けることに。結果的に悪性のものではなかったものの、がんの疑いもあった時期でした。

大地さん

それが結構僕の中での、一番初めての人生の挫折みたいな感じだったんです。

親御さんの判断で中学受験をやめることになり、本人も燃え尽き症候群のような状態に。受験をしないという選択は、レベルを下げるのでもなく、そもそも受験自体をやめるというものでした。

ちょうどそのタイミングで、お父さんの会社からタイの工場への駐在の話が出ていたそうです。ご両親で話し合った結果、「いい転機になるんじゃないか」と考え、家族でバンコクへ。小学6年生から中学2年生までの3年間、タイで暮らすことになりました。

英語ゼロから始めた2年半

バンコクでは最初の半年間、日本人学校に通っていました。ただ、燃え尽き症候群が続いていた時期で、何に対しても気力が湧かない状態だったといいます。

転機は、現地のアメリカンインターナショナルスクールに移ったこと。入学試験では数学のスコアが高かった一方、英語はほぼゼロ。当てずっぽうで回答した記憶があるそうです。それでも「数学ができるならいいよね」と入学を認めてもらえました。

当時、同じ学年に日本人はいませんでした。唯一、アメリカと日本のハーフの女の子が日本語を話せる程度の環境。放課後は英語の補習を受けながら、2年半かけて英語力を伸ばしていったそうです。

インターに行ってからすごい外部の刺激があったんで、そこで燃え尽き症候群みたいな気質もなくなって、またやってやろうみたいな感じになって。

2年半後には、スピーキングとリスニングが英検準1級レベル、リーディングとライティングは英検2級レベルまで到達。英語だけでなく、さまざまな国籍の人と関わることが日常になり、「海外ってすごい」という感覚が芽生えた時期でした。

このインター時代に、大地さんの中にひとつの感覚が生まれています。英語が一番できない状態からスタートし、周りの背中を追いかけ続けた2年半。「追いかける側にいるときが、自分は一番成長できる」という実感です。

日本に帰ってから、また折れた

「追いかける側」から「上の側」に回った違和感

中学2年生まではバンコクにいた大地さんですが、中学3年生のタイミングで先に一人で日本に帰国します。理由はサッカー。日本で本格的にやりたいという気持ちが出てきたためでした。親御さんはまだタイに残り、大地さんは寮生活を始めます。

入ったのは中高一貫校のインターナショナルコース。タイのインターのような環境を期待していたそうです。

ところが、現実は想像と違っていました。

理想はやっぱり僕がいたインターみたいなところがあるのが理想だったのに対して、現実は結構、みんなほとんど日本人。9割日本人で、先生が来たときだけ英語を話すって感じだった。

インターでは英語力が一番下で、常に補習を受けていた大地さんが、環境が変わった途端に「上の方」に。本人はそれを「正直すごい期待外れだった」と振り返っています。

僕は常に追っかけてる側でありたかったんですよね。でも逆に僕が上っていう環境に入ってしまって。

自分が上の立場になったことで、周囲に対して横柄な態度をとってしまったり、英語に対して過剰に高いものを求めてしまったりしたそうです。人間関係がうまくいかなくなり、睡眠不足も重なって、鬱のような状態に。タイでの燃え尽き症候群とは別の形で、再びバーンアウトしてしまいました。

通信制高校と、社会との関わりが薄くなった時期

中高一貫校だったため、本来はそのまま高校に進学する予定でした。しかし中学の最後の時期にはほとんど学校に通えなくなっていたそうです。

その時は本当に、自分で判断することがあんまりできるような感じではなかったので、しょうがなく親が決めてくれたみたいな感じでした。

出席日数の問題もあり、エスカレーター式での進学は断念。ご家族と本人が選んだのは、ID学園高等学校という通信制の学校でした。通信制ではあるものの、通学もできるタイプの学校だったそうです。

ただ、実際には高校2年生頃まで部屋にこもりがちで、学校に行くこともほとんどなく、社会との関わりがだいぶ薄くなっていた時期だったと話しています。

転機が訪れたのは、高校2年生の冬から3年生の春にかけて。親御さん、特にお母さんが情報収集を始めてくれたことでした。タイのインターナショナルスクール時代の親同士のつながりが活きたそうです。海外の大学事情に詳しい方が多く、そうした人たちと話すことで選択肢が見えてきました。

今いる僕が大学に進学するっていうのは、ほとんど親がこれがいいんじゃないかって、僕の状況とかいろいろ考えた上で、示してくれた道って感じです。

子ども自身が動けない時期に、親がどう動いたか。大地さんのケースでは、過去のネットワークを活用した情報収集が、結果的に道を切り開いていました。

オーストラリアの名門校モナシュ大学マレーシア校に正規留学している大地さんが旅先で1人で映る写真

マレーシアを選んだ3つの理由と、モナシュを選んだ1つの理由

親が集めた情報と、マレーシアに絞った理由

お母さんが集めてきた選択肢は、タイの大学、そしてマレーシアからサンウェイ大学、ノッティンガム大学マレーシア校、モナシュ大学マレーシア校。全部で4校ほどだったそうです。

中学時代には、奨学金をもらってアメリカやイギリスに行くことも視野に入っていました。ただ、奨学金が取れないとなると、アメリカやイギリスの学費は現実的に払えない金額になります。

親が提示した額は大体、日本の私立大学と同じレベルであれば払うよって言ってくれたところで。当時の時に日本の私立大学と大体同じくらいの値段でいけるってなって。

マレーシアに絞った理由は3つ。1つ目が経済面で、日本の私立大学と同程度の費用で通えること。2つ目が治安。3つ目が日本との物理的な距離の近さでした。

3つ目の距離について、大地さん本人は「ぶっちゃけどこでもいい」と感じていたそうですが、親御さんにとっては「最悪、飛行機で6〜7時間で駆けつけられる」という安心材料になっていたとのこと。

親御さんの留学への反応は、驚くほど穏やかだったそうです。タイのインターで楽しそうにしていた姿を見ていたこともあり、「むしろ日本より海外の方が何かしら学びがあるんじゃないか」と積極的にサポートしてくれたといいます。安全面については「習うより慣れる」スタンスで、治安がある程度クリアされた時点で「あとはなるようになる」という考え方だったそうです。

条件はひとつ。「留年しないこと」。留年したらしたで仕方ないが、しないでねという約束でした。学費と生活費は100%親御さんが負担しています。

「一番背伸びできる場所」を選ぶ

マレーシアの候補のうち、なぜモナシュだったのか。大地さんの答えは明快でした。

常にやっぱり下でやりたいんです。組織の中で、僕は自分が下の方が心地いいっていうのが結構あって。自分よりもすごい人に囲まれて生きてるっていうのが、僕の中で結構幸せというか。

候補の中でQS世界ランキングが一番高かったのがモナシュでした。モナシュ大学はオーストラリアの名門大学で、マレーシアにある分校も同じ学位が取得できます。そのモナシュが「自分にとって一番背伸びできる場所」だと感じたそうです。

本人も認めている通り、学部別ランキングなど他の切り口で見れば、別の大学が合っていた可能性もあります。ただ当時は、QS世界ランクという分かりやすい指標で「一番挑戦になる場所」を選んだ。タイのインターで「追いかける側」として成長した原体験が、そのまま大学選びの判断基準になっていました。

IELTS 5.5、出願、合格まで

インターで培った英語力と、2〜3ヶ月のIELTS対策

大地さんの場合、英語の土台はタイのインター時代にできていました。高校2年生の時点で英検準1級を取得しており、TOEFLも約70点。アメリカやイギリスの大学を漠然と考えていた時期に、自主的に受けていたそうです。

モナシュに行くと決めたのは高校3年生の夏。まずファウンデーションコース(MUFY)に入り、そこからモナシュ本課程へ進む計画を立てました。ファウンデーションコースとは、海外の高校を卒業した学生がオーストラリアの大学に入るために必要な準備課程で、日本の高校の成績だけでは直接入学できないため、このコースを1年間挟む形になります。ファウンデーションと合わせて4年で卒業する想定で、秋にIELTSを受験。勉強期間は2〜3ヶ月でした。

対策の配分は、ライティングが7割、リーディングが3割。スピーキングとリスニングはほぼ対策なしで、本番形式を1回通したくらいだったそうです。ライティングの対策には「Best Teacher」というオンラインサービスを利用。自分が書いたエッセイを海外のネイティブスピーカーに添削してもらえるサービスでした。

結果はオーバーオール5.5。MUFYの最低ラインちょうどで合格できるスコアでした。1回の受験でクリアし、それ以降IELTSの勉強はしていません。

項目内容
既存スコアTOEFL約70、英検準1級
IELTS勉強期間2〜3ヶ月
勉強配分ライティング70%、リーディング30%
対策ツールBest Teacher(オンライン英作文添削)
IELTS結果Overall 5.5(W:6.0、S:6.0、R:5.5、L:5.0)
受験回数1回

エージェント経由の出願と、振り返り

出願にはマレーシア留学を専門に扱うエージェントを利用しました。費用は10万円の一括払い。マレーシアに絞っていたので、マレーシア専門のエージェントに話を聞きに行き、入学から卒業までサポートすると言われて利用を決めたそうです。

出願したのは高校3年生の10月頃。提出したのは高校の成績証明書とIELTSのスコアのみで、エッセイは不要。出願先はモナシュ1校だけでした。エージェント側が大地さんの成績を見て「ファウンデーションで落とされることはないと思います」と判断したため、併願はしなかったとのこと。

合格通知は出願から約1ヶ月。12月頃には結果が出ていたそうです。もし受からなかった場合は、半年遅らせて再出願する予定でした。

エージェントの評価について、大地さんは率直にこう話しています。

正直今の僕から、今後使いたいか悩んでいる方に何か言うとしたら、正直必要ないかなって思うよっていうのが正直な意見です。

入学後のサポートで必要な場面に遭遇したことはなく、「最初の面倒な手続きをやってくれたことにほぼ10万円を払った形」とのこと。「むしろ自分でやった方がいい経験」とまで言い切っていました。

ただ一方で、出願前の煩雑な手続きを代行してくれたことには感謝しているそうです。留学エージェントの中で10万円という価格は安い部類で、親御さんにとってのプラスアルファの安心材料にもなったという側面はあったと話しています。

渡航前のリサーチについては、「ほぼしていない」のが正直なところだったそうです。MUFYについて公式サイトを20分ほど見た程度。タイに住んでいた経験から「ほぼ一緒でしょ」という感覚で来たとのこと。実際にはマレーシアとタイでは文化もかなり違ったそうですが、それは来てから感じたことでした。

マレーシアに着いてからの日々

着いた初日と、ホームシックの1週間

高校を卒業し、マレーシアへ渡航。MUFYの学生として新生活が始まりました。

到着した初日。大学が手配したドライバーが空港まで迎えに来てくれて、寮まで送ってもらうところまでは順調でした。

下ろしてくれたはいいけど、そのドライバーさんは下ろすまでが仕事なんで。降りたはいいけど、どこ行けばいいんだみたいな感じで。

オフィスを自分で探し、Googleフォームでの記入を済ませて入寮。20分ほどかかったそうです。その後は近くで水とお菓子を買い、ショッピングモールでご飯を食べに行ったとのこと。

到着してすぐの時期は食事にも苦労していて、ローカルフードに手を出す勇気がなく、ショッピングモールで1食1,000円を超えるような食事が続いていたそうです。「今の自分からすると考えられないくらい食費を使った」と笑っていました。

英語については、速さよりも発音の違いが壁になったといいます。マレーシア英語の訛りが強い人や、他の国から来た学生のアクセントがなかなか聞き取れない。英語力そのものというより、慣れていない訛りへの対応が最初の課題でした。

最初の1週間はホームシックにもなったそうです。一人で海外に住むのは初めてのこと。日本では新しい環境に飛び込んでも夜には家に帰れたのが、マレーシアでは24時間ずっとその環境にいる。タイの駐在時代とも違う感覚でした。

ただ、親御さんに弱音を見せることはなかったといいます。

僕が弱みを見せられないんで、結局一人で解決しちゃうタイプ。抱え込んじゃうんで良くないんですけど、結果なんやかんやなんとかなってるみたいなのが今ですかね。

1週間で気持ちが落ち着き始め、2週間後にはだいぶ楽に。1ヶ月後にはもう違和感なく生活していたそうです。適応できた理由を聞くと、「時間の経過と、柔軟な思考の2つにかけると思う」という答えが返ってきました。

寮からコンドミニアムへ — 住まいの選び方

最初に住んだのは、Sun-Uレジデンスの2人部屋。選択肢は3つあり、ウォーターフロント(一番グレードが高い)、Sun-Uレジデンス、Sun-Uアパートメント(エアコンなし)でした。

エアコンなしの部屋をまず消去し、残った2つで迷った結果、Sun-Uレジデンスの2人部屋を選んだそうです。理由は、費用がウォーターフロントより安いことに加えて、「外国人と2人部屋って面白そう」という好奇心。その好奇心さえなければウォーターフロントの方がいいと思う、とも話していました。

約6ヶ月後、Nadayuというコンドミニアムに引っ越し。きっかけはFacebookで部屋の募集を見つけたことでした。コンタクトを取った不動産エージェントに3ヶ所ほど内見させてもらい、最終的にはNadayu内にあるエージェントのオフィスで契約したそうです。

現在の部屋は1人部屋で、家賃は月1,150リンギット(約4万円)。4〜5部屋の住人で共有スペースをシェアする形で、洗濯機は無料、乾燥機は1回2リンギットほど。建物は綺麗で、不便を感じたことはないそうです。大地さんの紹介で、ウォーターフロントから引っ越してきた友達が2〜3人いるとのことでした。

住居タイプ期間家賃
Sun-Uレジデンス2人部屋約6ヶ月──
Nadayu1人部屋現在1,150リンギット(約4万円)
オーストラリアの名門モナシュ大学マレーシア校に正規留学されている大地さんが住むNadayuレジデンスの部屋イメージ
実際の写真をもとにしたイメージ画像

授業と学業 — MUFYからモナシュ本課程へ

MUFYの4科目と、高校に近い雰囲気

MUFY(Monash University Foundation Year)の授業は、高校に近い雰囲気だったそうです。1学期に4科目を取り、大地さんの場合は英語、数学、経済、会計の4つ。文系の学生には多い組み合わせで、英語は必修、数学もほぼ全員が取る科目だったとのこと。

1クラスの人数は少数制で、多いクラスで20人、少ないクラスだと10人程度。授業自体は先生の話を聞く形式がメインでしたが、課題にはグループワークが多かったそうです。英語ではグループでエッセイを書いたり、英詩を選んで解説のプレゼンをしたり。数学では授業2コマ分を使ったグループテストのようなものもあったといいます。

ただ実情としては、「中心になるメンバーが方向性を決めてやって、やらない人はちょっとしかやらない」というグループワークの現実もあったようです。

MUFYの1学年は約500人。そのうち日本人は10人弱。大地さんはMUFY時代、ほとんどマレーシア人の友達と過ごしていたそうです。日本人との関わりは「会ったら喋るくらい」の距離感でした。

MUFYからモナシュ本課程への進学は、MUFYを卒業できれば無条件。追加の試験やエッセイは一切なく、ビザの切り替え手続きだけで済んだとのことです。

モナシュの授業 — 録画講義を見てから、対面に臨む

モナシュ本課程の授業スタイルは、MUFYとはかなり違っていました。

基本的にオンラインで録画された動画を見て、渡された問題を解いて、解いた問題を持っていく。対面でやる授業は問題の解説とか、そこから派生した知識を先生が教えてくれるみたいな感じ。

録画講義の長さは週によって異なり、1時間半から2時間半程度。それを各自で視聴し、問題を解いた上で対面授業に臨むという流れです。予習と自習が学びの大部分を占めていて、「自分一人で進めていくのがほとんど」とのこと。

大地さんの専攻であるアカウンティングは、テストの比重が大きいのが特徴だそうです。成績の約70%がテストで決まり、そのうち期末試験だけで50%を占める。残り30%はケーススタディ形式のグループ課題などです。一方、ファイナンス系の科目にはエッセイやプレゼンテーションも多く、レポートを書いた上でプレゼン資料を作り、実際に発表するという一連の課題もあったそうです。

難易度については「ちゃんと勉強していれば6〜7割は普通に取れる」とのこと。先生が過去問や重要ポイントの一部は教えてくれるため、Failすることはまずないそうです。ただ、「その8割を9割に持っていくのが結構大変」で、高い成績を目指すにはしっかり勉強する必要があるとのことでした。

MUFYからモナシュに切り替わった直後は、授業の進捗スピードの差に驚いたそうです。MUFYがゆっくり進むのに対して、モナシュは断然早い。1年目の1学期は大変に感じたものの、2学期からは慣れたといいます。

モチベーションについても正直に話してくれました。1年目の1学期は「正直上がらなかった」そうです。そこから見つけた自分なりの方法は、ドキュメンタリーを見ることと、何か目標に向かっている人と話すこと。自分とまったく違う分野であっても、目標に向かって動いている人の姿を見るとやる気がもらえるという発見があったそうです。

月8〜10万円の生活 — お金、食事、安全

生活費の内訳

大地さんの月々の生活費は、だいたい8〜10万円。内訳は以下の通りです。

項目金額(目安)
家賃(Nadayu、1人部屋)約4万円(1,150 RM)
食費・日用品約4万円
SIM(CelcomDigi 20GB)約800〜1,000円(25〜30 RM/月)
交通費変動(50〜200 RM/月)
合計約8〜10万円

※ 日本円は1リンギット ≒ 35円で換算した概算です。実際のレートは時期により変動します。

ただし、友達とお酒を飲みに行く月は話が変わります。一時期、よく飲みに行く友達がいた頃は、月に13〜14万円まで跳ね上がったそうです。マレーシアではお酒が高いため、飲みに行くと一気に出費が増えるとのこと。

通学は徒歩なので、大学が忙しい時期は交通費がほとんどかかりません。月50リンギット程度で収まるそうです。一方、KLに遊びに行くとGrab(配車アプリ)で片道約30リンギット。休みの時期には月200リンギットほど使うこともあるとのこと。

食事は自炊と外食が半々くらい。大学がない日は自炊をしようと思いつつ、課題に追われて外食が入ってくるパターンだといいます。お昼のコスパが一番いいのはサンウェイ大学内の食堂で、日常の食材はPMC(大学近くのスーパー)、まとめ買いにはNSKというローカルスーパーまで電車で行くそうです。

SIMカードはCelcomDigiの20GBプラン。大学にも自宅にもWi-Fiがあるので、20GBで十分だという話でした。中にはSIMを契約せず、家と学校のWi-Fiだけで生活している友達もいるそうですが、「さすがにそれはやめたほうがいい」と笑っていました。

学費と生活費は100%親御さんが負担しています。日本に帰国した際のアルバイト代は、自分の自由に使っていいと言われているそうです。

銀行・保険・海外送金

現地の銀行はMaybankで、デビットカードを利用しています。口座開設は大学を通さず、自分で銀行の支店に出向いて手続きする形でした。大学名、留学予定期間、親の年収などを記入して提出し、一度出直しが必要だったものの、開設まで約1週間。

海外送金は何度か方法を変えてきたそうです。以前はSBIレミットを使い、マレーシアの店舗まで現金を受け取りに行っていました。親御さんが円で送り、大地さんが現地でリンギットを受け取る仕組みです。現在はQueen Bee Capitalというサービスに切り替えていて、手数料が低いものを親御さんが調べて選んでくれているとのこと。

海外旅行保険は、初年度に東京海上日動の保険に加入していました。年間約20万円。ただし2年目以降は更新しておらず、現在は大学が加入してくれている保険のみの状態だそうです。

治安と、気をつけていること

治安については「正直心配することはない」とのこと。大学周辺で夜道を一人で歩くことも多いものの、危険な目に遭ったことは一度もないそうです。女性が一人で夜歩いても安全なくらいだという印象だと話していました。

唯一気をつけているのは、野良犬です。普段はこちらが近づいても寝そべったままでいることが多いのですが、ランニング中に3〜4匹の犬がいきなり出てきて吠えながら向かってきたことがあったそうです。急に止まってゆっくり引き返し、事なきを得たものの、狂犬病のリスクもあるため「そこだけは気をつけている」と話していました。

マレーシアで変わったこと

「差別はなかった。むしろ歓迎されすぎて困った」

日本人としての差別は一切受けたことがないそうです。

むしろめちゃくちゃマレーシアは歓迎ムードです。最初とかは、アニメがめっちゃ好きなやつにずっとアニメの話されて、困ってたぐらい。歓迎されすぎて困ってたぐらいの話でした。

マレーシアは親日的な国で、留学先としても安心しやすい環境だと感じているそうです。

一方で、タイとは違う意味でのカルチャーショックがあったと話しています。マレーシアが多民族国家だということ。タイではみんな同じような食事をし、同じ文化を共有していたのに対し、マレーシアでは同じ国の中で宗教によって食べるものが違い、お祭りも別々。それが最初は衝撃的だったといいます。

もうひとつ印象に残っているのは、学生間の金銭感覚の差。大地さんの感覚では普通の値段のものを「高い」と感じるマレーシア人もいれば、大地さんが高いと思うものを何とも思わない裕福な学生もいる。日本では感じたことのない格差を、マレーシアに来てから実感したそうです。

大学に入ってからは、スポーツチームを通じて日本人の友達も増えたそうです。友達の国籍はマレーシア人が多く、ほかにモルディブ人、中国人も。モナシュでは日本人コミュニティが育ってきていて、どんどん加速している印象だと話していました。

「海外で働きたい」から「日本に貢献したい」へ

マレーシアに来たことで、キャリアに対する考え方も変わったそうです。

渡航前は「海外で働きたい」という気持ちが強かったといいます。タイのインター時代の「海外すげえ」という感覚が残っていた頃でした。その後、現実を見る中で「日本の方が給料がいい」という理由で日本就職に傾いた時期もあったそうです。

ただ、今はもう少し違う感覚になっていると話していました。

日本がいかに綺麗で、ご飯が美味しくて。社会として見たときに、お互いに節度を保って生活してるっていうのを、たまに感じたりするタイミングがあります。

マレーシアで暮らす中で、日本のことが好きになったそうです。「国単位で感謝する心が最近芽生えた」と話していました。

今の目標は、日本企業で海外と接点のある仕事をすること。業界としては銀行、商社、食品業界に興味があるものの、まだ絞りきれてはいない段階だそうです。一時期インターンもしていたそうで、今年中にもう一度始めたいと考えているとのことでした。

コミュニケーションの取り方にも変化があったといいます。日本では「失礼にならないように」が先に来るのに対し、海外では距離をグッと詰めてくる場面が多い。最初は戸惑ったものの、それが人間関係の構築として新しい視点になったそうです。また、誰と会うかを自分で選べる自由度が高くなったことも、海外生活で感じた変化のひとつでした。

留学を検討している人に向けて、大地さんはこんなメッセージを残してくれました。

留学って一括りでも、すごい多くの選択肢があると思うんですよね。

日本にずっといたから来れないとか、日本語以外しゃべれないからっていうので諦めなくても、語学学校行ってから大学に入る人もいますし、結構いろんなキャリアの設計の仕方がある。

情報を集めるところから始めて、いろんな選択肢を持ってほしいなというふうに思ってます。

中学受験の挫折、タイのインターでの3年間、帰国後のバーンアウト、通信制高校での日々を経て、今はモナシュ大学マレーシア校の2年生。会計学と金融学を学びながら、次のインターンを見据えているところです。

免責事項

本記事の内容はインタビュー時点の情報に基づいており、費用・制度・条件は時期や個人の状況により異なります。ビザ制度や奨学金制度等は変更される可能性があるため、最新情報は各機関の公式サイトでご確認ください。本記事の内容に基づく判断や行動の結果について、当メディアおよび執筆者は責任を負いかねます。

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