カリフォルニアのコミュニティカレッジに2年間。到着初日に寮を1周して友達を100人つくり、成績は満点のGPA 4.0。生徒会にも入り、キャンパスのインフォメーションセンターで働き、「2年間、一度も帰りたいと思わなかった」と言い切る留学生活でした。
ところが3年目、この人はカリフォルニアを離れます。行き先はテネシー州。アジア人の割合0.1%、カントリーミュージックしか流れない町。専攻もビジネスからパイロットに変えている。順風満帆だったカリフォルニアをなぜ離れたのか。そしてテネシーで何が待っていたのか。
日本の大学で教授と衝突してアメリカへ渡り、計画が崩れるたびに自分で次の選択をしてきた4年間。今回お話を聞いたのは、テネシー州のMiddle Tennessee State University(MTSU)でパイロットを専攻する武内こうきさんです。(2025年12月取材)
NICでの渡航準備、OCCでの2年間、パイロットへの専攻変更とテネシーでの予想外のトラブル、4年間の費用と奨学金、そしてこれからの道。こうきさんの4年間を、本人の言葉で聞いてきました。


留学を決めるまで——ボストン研修と崩れた計画
高校のボストン研修で見た世界
こうきさんの家庭は、もともと海外が身近でした。おじさんが外国の方で、従兄弟も留学していた。家族での海外旅行も多く、国際的な環境で育っています。
中でも大きかったのが、高校時代の海外研修。ボストンに1ヶ月間ホームステイし、現地の学校に通いながらハーバードやMITのキャンパスも見学しました。
楽しすぎるし、日本とかけ離れすぎて。海外の大学ってこういうものなのかっていう、実際に行ってみないと分からない部分を発見しました。
ただ、この時点で「アメリカの大学に進学しよう」と決めたわけではなかったそうです。帰国後は周りと同じように日本の大学受験を進めていました。
コロナで消えた交換留学と、日本の大学での衝突
ちょうどこの頃、ロータリークラブの交換留学プログラムに合格し、シドニーへの渡航が決まっていました。費用の補助もある好条件でしたが、コロナの影響で渡航自体が中止に。準備していた計画が一つ消えた。
一方で日本の大学受験は進み、慶應義塾大学に進むつもりだった。ところがここで、教授との衝突が起きる。
教授と喧嘩したんですよ。僕がやりたかったことが宇宙に関係することで、すごい大きな話をしてたので。まあ、いい気づきにもなったんですけど。
コロナで交換留学が消え、日本の大学でも自分がやりたいことと噛み合わなかった。ボストンでの体験が再び浮かんできて、「日本の大学は合わないのかな」と感じ始めたそうです。こうしてアメリカ進学という選択に舵を切りました。
親の反応——「あ、いいんじゃない」
留学の話をご両親に伝えたとき、返ってきた反応はあっさりしたものでした。
うちの親は結構放任というか、いい意味で放任主義で。やりたいことをやらせてくれる素晴らしい両親です。
「理由付けはしろ」とは言われたものの、コロナ禍の一連の出来事を間近で見ていたこともあり、多くの説明は必要なかったようです。
費用面のハードルも、想像よりは低かったようです。慶應の学費とアメリカのコミュニティカレッジ(コミカレ)2年間の学費がほぼ同程度で、「アメリカにスライドした」という感覚に近かったとのこと。ただ、こうきさん自身は「できるだけ親には補助してほしくない。自分の力でやりたい」と当時から考えていました。
渡航準備——NICでの1年間
NICという選択肢
コロナ禍で渡航できない中、こうきさんはNIC International College in Japan(東京・新宿)に1年間通いました。NICは「海外の大学の東京キャンパス」のような位置づけで、在籍しながらアメリカの大学の単位を取得できる仕組みがあります。ビザの申請や手続きもNICのスタッフがサポートしてくれる環境でした。
そこの人たちはもうプロフェッショナルなんで、卒業生も何十年もずっと出してますし。
留学の情報収集をSNSやインターネットでしていたかと聞くと、「全くしなかった」という答えが返ってきました。留学系のインフルエンサーと出会うことはあったものの、学校選びや手続きの情報は全てNICのスタッフ頼り。
この時点でのTOEFLスコアはITP 550。基準点400〜450を大きく超えており、成績が評価されてNICから約20万円の奨学金も受けています。
目指したのはカリフォルニア・ロサンゼルス。エンターテインメントの街という魅力に加え、NICのシステムでLAエリアに単位互換ができて、かつ寮があるコミカレはOCCだけだった。選択肢は実質一つ。
ロサンゼルスに入れればいいやと思ってたんで、現地の情報はあんまり集めてなくて。行ってから分かるだろうっていう感じで、結構テキトーでしたね。
コロナ禍のクラブで英語の練習
渡航前、英語で話すことへの緊張はありました。ただ、「アメリカに行ってそういう状態になりたくない」という思いから、コロナ禍の東京でも練習の場を探していた。当時は外国人がほとんどいなかったが、クラブに行くと唯一外国人がいる。
わざわざクラブに行って外国人と会って喋るようにして、インプット・アウトプットして。
NICの課題量も、結果的に渡米後の備えになった。「わざと海外でも耐えられるように」という方針で、課題が大量に出されるプログラム。当時は相当きつかったとのことでした。
カリフォルニア・OCC——2年間のコミカレ生活


寮を1周して友達100人
2021年夏、こうきさんはOCCに入学した。到着初日から、とにかくコネクションを広げようと決めていたそうです。
寮を1周して友達100人ぐらい作ってましたね。最初からコネクションは広げようと思ってたんで、アメリカにダイブしたみたいなところはありました。
「日本から来た」と言うとみんな食いついてくれて、アニメや日本文化の話題で会話が広がりました。日本では普通のファッションがアメリカだと「めっちゃおしゃれしてる人」に映るらしく、それも注目を集めるきっかけになったようです。
アメリカってファッションにあんまり気を使わないから、日本のスタンダードがアメリカだとめっちゃおしゃれしてる人っていう感じなんですよ。
その後、生徒会にも参加。キャンパス内のインフォメーションセンターで働き始め、「大学のこと知り尽くしてた」と話すほど、コミュニティの中に入り込んでいきました。
授業とGPA 4.0
授業選びで活用していたのが「Rate My Professors」というウェブサイト。教授の評価や難易度、授業スタイルが星やスコアで表示されていて、履修前に自分に合った授業を見つけやすい。留学生はオンライン授業の履修に単位数の上限があるため、対面とオンラインの配分も考えながら組んでいたそうです。
一番苦労したのは英語の授業。8ページにわたるリサーチペーパーの課題もあり、当時はまだAIもなかったのでチュータリング(大学が提供する無料の個別学習サポート)に通いながらこなしていました。
一方で、数学や理科系の科目には驚きもありました。
アメリカ人って惑星の順番とか知らないんですよ。数学も三角形の内角の和が180°っていうのを大学で習うんですよね。僕は理系だったんで、遅いなって感じてました。
NICで鍛えられた経験もあり、課題の量で苦しむことはありませんでした。結果、OCCでのGPA(成績評価)は満点の4.0。この成績と課外活動が評価され、元学長の名前がついた「ロバート・モーレ奨学金」として約100万円を受給。2年目の学費が半額になっています。
「2年間、一度も帰りたいと思わなかった」
カリフォルニアでの2年間を振り返ると、「いい意味で予想を超えてきた」という感想でした。多国籍な環境とフレンドリーな人々。人種差別を心配していたが、全くなかったそうです。
カルチャーショックがなかったわけではない。大麻は到着2日目で目の前に。初めての外食はキャンパスから歩いて行けるイタリアンで、茹でた麺にトマト缶をかけただけのようなパスタが20ドル。量は多く、味は期待以下でした。
英語のスピード自体は問題なかったが、苦労したのはスラング。
ティーンエイジャーのスラングがあって、日本語で言うギャル語みたいなのが存在してて。パーティーとかだと最初はきつかったですね。
それでも、この2年間に日本に帰りたいと思ったことは一度もなかったそうです。
楽しすぎて、日本に戻った方がおもんないやろうなって思ってました。


ビジネスからパイロットへ——専攻変更と編入
5校を比較し、MTSUに絞った理由
OCCではビジネスを専攻していたこうきさん。元々はUCLAやUCバークレーへの編入も視野に入れていたが、このタイミングでパイロットへの道を選ぶ。
パイロットの大学選びでまず重視したのが、RATP認定校かどうか。エアラインのパイロットになるには通常1,500時間のフライト経験が必要だが、RATP認定校の卒業生は1,000時間に短縮される。費用と時間の両方に関わる大きな差です。
候補はジョージア、アラバマ、テネシー、フロリダの5校。フロリダは費用が高く除外。そしてカリフォルニアにもフライトスクールはあったが、あえて州を出る理由がありました。
カリフォルニアは常に晴れてるからみんな人気で来るんですよ。常に予約で満パンだからフライトができないんですよね。生活費もすごい高いし。
比較した結果、時間とコストが最もかからないのがテネシーのMTSU。出願の段階で他の4校には出さず、MTSUの1校に絞った。GPA 4.0に加え課外活動も人一倍やってきた自負があり、「落ちるわけないだろう」と考えていたそうです。仮に落ちた場合は、ビジネスのままUCLAに行くつもりでした。


エッセイ——「嘘はつくな」
MTSUへの出願ではエッセイが鍵になりました。約3,000語、作成期間は約1ヶ月。ルームメイトのアメリカ人に見てもらいながら仕上げていきました。
最大のネックは、ビジネスからパイロットへの専攻変更の説明。エッセイの書き出しから、そこに正面から向き合ったそうです。
突然ビジネスメジャーのやつがパイロットに来るの、一番突っ込みたい場所だと思ったので。だからそこの理由付けから始めました。
「落ちたらパイロットはなるなっていうことかなと思ってた」と、ある種の覚悟もありました。結果は合格。3〜4ヶ月で合格通知が届き、さらに2ヶ月後には「あなたは特待生です」という通知が来て、座学の授業料が免除されることに。
エッセイを書く人へのアドバイスを聞くと、シンプルな答えが返ってきました。
嘘はつくな。盛らずに、ありのままの姿を見せた方が結局魅力的だったりすると思うので。
テネシーでの生活——カリフォルニアとは「別の国」


アジア人0.1%の町
2023年、テネシーへ。カリフォルニアからの移動でしたが、同じアメリカとは思えないほどの環境の違いでした。
2回カルチャーショック受けてるみたいな。ほとんど違う国みたいな感じなんで。
こうきさんが住むエリアでは、アジア人の割合が0.1%ほど。チャイナタウンもなく、カリフォルニアとは周囲の反応も違ったそうです。
人種差別ではないけど、「別」に見られてる感じはしてましたね。
音楽はカントリー一色で、エレクトロニック系のジャンルは一切聞かれない。こうきさんの趣味であるDJはこの土地では成立せず、やりたいときはロサンゼルスまで戻ることもありました。
政治的にも保守的で、多文化的なカリフォルニアとは対照的な土地柄。留学生に対する支援体制も手厚いとは言えない環境でした。


銃撃事件、教授の死、ビザ危機
テネシーでは、カリフォルニアでは経験しなかった出来事がいくつも重なりました。
キャンパスで銃撃事件が起きたことがあります。こうきさんがいるときに発生し、周囲が逃げる様子をその場で見ていたそうです。「もう慣れちゃってますね。そんなんばっかなんで」という言葉が返ってきました。
ビザに関わる深刻な事態もありました。履修していた授業の教授が突然亡くなり、授業自体がなくなったのです。
留学生って最低12単位取らないといけないんですけど、その授業がなくなったせいで11単位になっちゃって。ビザの条件を満たせなくて、「日本に帰らないといけないかも」って言われたんですよ。
ギリギリで別の授業を見つけて回避できましたが、教授一人の不在で留学生のビザが揺らぐ場面でした。
さらにトランプ政権下でビザの規制が強化された影響もありました。フライトプログラムへの参加を「ビザに問題がある」という理由で拒否されたものの、実際にはビザに問題はなく、直前に日本との往復も問題なくできていたそうです。
これがカリフォルニアだったらこんなこと起きてなかったやろうなと思ってます。
留学4年間で一番辛かったことを聞くと、意外にも「恋愛」という答えでした。文化の違い、言語の壁。最初の頃は英語力が追いつかずアプローチすること自体が難しく、その後付き合うまでいっても価値観の違いで思うようにいかなかったそうです。「アメリカンなドロドロな恋愛してきた」と笑いながら話していましたが、それ以上の詳細には触れませんでした。
4年間のお金の話
月の生活費と奨学金
テネシーでの現在の月額生活費は約$1,000〜1,100。
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 家賃(4人シェアハウス) | $750 |
| 光熱費(4人で割り勘) | 約$50 |
| 食費 | $100〜200 |
| ガソリン・保険 | 上記に含む |
| 合計 | 約$1,000〜1,100 |
住まいは、パイロット専攻の友人に「もう1人探してるから入らない?」と声をかけてもらったシェアハウス。4人全員がパイロット専攻で、「パイロットの人たちはお金がないとやっていけないから、育ちがいい人が多い」という話でした。
食事は100%自炊。定番メニューは鶏肉とブロッコリーで、お米は常にストック。テネシーにはファーストフード以外のレストランがほとんどなく、外食する理由がないとのこと。
パイロット専攻で特に大きいのが、授業料とは別にかかるフライト訓練費。
フライトの飛行代って授業料と別なんですよね。2ヶ月で150万円とか。
この費用を支えてきたのが、3段階の奨学金。
| 時期 | 奨学金 | 内容 |
|---|---|---|
| NIC在学時 | NIC補助金 | 約20万円(TOEFL成績による) |
| OCC 2年目 | ロバート・モーレ奨学金※ | 約100万円(GPA 4.0+課外活動。2年目の学費が半額に) |
| MTSU | 特待生奨学金 | 座学の授業料免除 |
※ 18年間学長を務めたRobert B. Moore氏の名前がついた奨学金
いずれも外部ではなく在籍校からの奨学金。加えて、キャンパス内のインフォメーションセンターでの勤務やDJ活動でも収入を得ています。資金調達のために「令和の虎」にも出演しました。
なお、留学生ビザ(F-1)ではキャンパス外での就労が原則禁止されています。このルールを破ってキャンパス外でアルバイトをしていた留学生が強制送還になったケースも、こうきさんの周囲では3人ほどあったそうです。かなり稼いでいたようですが、記録が残っていたのだろうとのこと。
日本人が経営していた店が閉鎖されたケースもあり、トランプ政権以降は取り締まりが一気に厳しくなったといいます。こうきさん自身はキャンパス内の仕事とDJの範囲で収入を得ていたため、こうした問題とは無縁でした。


クレジットスコアの壁と海外送金
アメリカでは留学生に信用(クレジットスコア)がないため、最初はデビットカードしか作れない。クレジットカードがないと自分の名義で賃貸契約が結べず、必ずクレジットスコアを持つアメリカ人と一緒に住む必要があります。
クレジットスコアがないから「これができない」っていうことが、生活していると発生するんですよね。
長くアメリカで暮らす中で信用が蓄積され、こうきさんは最終的にクレジットカードを取得できました。
日本からの送金はWise(海外送金サービス)を利用。最初の頃は親名義の家族カード(親の口座から引き落とされるカード)を使っていた時期もあったとのことでした。
これからの道
4年間で変わったこと
4年間の留学で一番変わったことを聞くと、「自己解決能力」という答えが返ってきました。
どんなトラブルに巻き込まれても結局自分でやらないといけない。アメリカ人はすぐ「ママ!」って電話したりするけど、自分自身しかいないので。
車の故障、住居の入退去トラブル、金銭問題、教授の死によるビザ危機。問題が起きるたびに自分で動くしかなかった4年間です。日本に帰って同年代と話すと、その差を感じるそうです。
日本に帰って気づいたことは、同じ年の人間よりも成熟してるなって。すごい感じますね。
プライベートジェットからエアラインへ
卒業後はOPT(卒業後にアメリカで一定期間就労できる制度)を利用し、まずプライベートジェットのパイロットとしてキャリアを積む計画。SNS活動を通じて航空関係者とのつながりが広がっており、プライベートジェットを運営するCEOとの接点もできているそうです。
拠点はLAかハワイに移したいと考えています。理由は「日本に近づきたいから」。将来的には日本便のエアラインパイロットか、日本のエアラインへの就職も見据えている。パイロット・SNS・DJの3つを軸にキャリアを築いていくとのことでした。
最後に、これから留学を考えている人へのメッセージを聞きました。
明確な目標を持って、自分が何をしたいか常に問い続けて。何があってもめげずに、自分の成長のためだと思って留学生活を送ってほしいです。
インタビュー時点で、こうきさんはパイロット免許の一つを11月末に取得し終えたところでした。テネシーでの4年目。卒業と次のキャリアに向けた準備が、同時に進んでいます。










