マレーシアに着いて3日目。大学最大の祭りが始まっていた。ボランティアの募集を見つけたその日に手を挙げ、1週間後には日本から持ってきたハイチュウを配りながら走り回っていた。
大学の敷地で勝手にナスを育て始め、除草業者に切られたら今度は農業クラブを正式に立ち上げた。学食でカレーを売り、在学中には会社も設立している。
もともとは九州の医学部進学校にいた。自分で作った部活の部長を解任され、高校を辞めた。アメリカにも半年渡ったが、そこでも行き詰まった。
今回お話を聞いたのは、APU(Asia Pacific University)でComputer Science AIを専攻するR.M.さんです。(2026年2月取材)
R.M.さんは現在大学2年生。在学中に会社を設立し、今は休学して日本に一時帰国しています。医者家系に生まれた背景から、アメリカでの半年間、APUを選んだ理由、英語の身につけ方、現地の暮らしと生活費、農業クラブの設立から起業に至るまで。R.M.さんの留学のすべてを聞きました。

医者家系のレールを降りるまで
「IT社長になりたいです」
R.M.さんの家は医者の家系。父親は現役の医師で母親も元医師、実家には病院がある。「医者になれ」という形で育てられたそうです。
転機になったのは小学6年生の卒業式だった。将来の夢を壇上で発表する場面があり、R.M.さんが提出した答えは「なし」。担任に「ダメだ、何か書け」と言われて、とりあえず「すごそうな人」として書いたのが「IT社長」。
卒業式の日にみんなの前で「IT社長になりたいです」って言ったんですよ。保護者も生徒もみんなが「おー」って。気持ちよかったんです。でも僕、ITの意味もわかってなかったから。
ITの意味を調べるところから始まった。孫正義やスティーブ・ジョブズの本を読むうちに、「起業家になるなら海外に行くしかない」という考えが芽生えていったそうです。
夕方に登校する高校生
中学受験を経て、青雲高校に進学した。「九州御三家」と呼ばれる医学部進学の名門校。R.M.さんはこの学校の中3のときにプログラミング部を立ち上げている。「次の時代はプログラミングだ」という思いからだった。
ところが高2になると、学校に通わなくなった。
別に医者になりたくないし、日本の大学も行きたくないし、海外の大学に行きたい。だからこの学校に行く意味ないよねって。部活だけのために夕方に登校してました。みんなが帰ってる時に登校して、部活だけして帰る。
この生活が教師にバレて、プログラミング部の部長を解任された。自分で設立した部なのに、ある日行ったらナンバー2が「今日から俺が部長らしいぞ」と気まずそうに立っていたそうです。
部活がなくなれば、この学校にいる意味も消える。「中卒でいい」とまで考えたが、親の反対もあり、高2のうちに高卒認定試験を取得して退学。その後、通信制のN高等学校に移った。
アメリカへ、そしてマレーシアへ
シアトルの夜に逃げながら考えたこと
N高に在籍しながら、R.M.さんはアメリカ・シアトルの語学学校に半年間通った。幼少期に父親の研究でアメリカに2年間住んでいた経験もあり、海外生活への抵抗感はなかったようです。
ところが、現地での体験は想像と違っていた。
シアトルって、マイクロソフトとかボーイングとかの伝統ある街で、治安もいいって言われてるんですけど、夜になるとドラッグ中毒者とかホームレスの人が起き出して、本当に襲われるんです。若い男性でも夜は歩けない。
白人も黒人もアジア人も関係なく、夜道を歩けば追いかけられた。ある夜、実際に逃げながらR.M.さんが考えていたのはこんなことだった。
大学に進学して、彼女ができて、結婚して、子どもができて、仮に娘だったとして——娘をこんな国に住ませられないなって。
アメリカの大学への進学は断念。「大学自体、もういいや」という気持ちで日本に帰った。
モンゴルの祖父の家で出会ったAPU
大学に行くつもりはなくなっていた。しかしN高には留学サポートが充実していて、留学エージェントが常駐していた。何年にもわたって多くの生徒をサポートしてきたベテランのスタッフで、「こういう大学はないですか」と聞けばすぐに候補が返ってくるような環境だったそうです。
N高って生徒が日本一多いんですよ。海外に行きたい人も多くて。何年にも渡って多数の生徒をアドバイスして、その人がどうなったかまで知ってるベテランがいっぱいいて。
加えて、通信制高校には海外大学の出願で有利に働く面もあるという。海外の大学はAO方式が中心で、高校の成績を重視するケースが多い。通信制は成績が取りやすい環境にあるため、こうしたサポート体制と合わせて「N高は海外に行きたい人にとっては楽園のような場所」とR.M.さんは振り返っていました。
そのエージェントから「マレーシアという選択肢があるよ」と提案された。最初は「マレーシアって意味わからん」と思ったと笑っていました。
高3の春、R.M.さんはモンゴルにいた。母方の祖父(元起業家)の家に泊まり、「おじいちゃん、大学とかいいと思うわ」と話していた頃。そんな中でエージェントとZoomをつなぎ、APU(Asia Pacific University)の説明を受けた。
僕がアメリカに求めてたのは多様性とITだったんです。APUの話を聞いたら、世界130カ国以上から留学生が集まってて、コンピュータサイエンスはマレーシアで一番だと。この大学にマジで行きたいって思いました。
治安のよさに加えて、暗号通貨などIT分野の規制が柔軟であること、アジアのIT投資家がマレー半島に集まっているという点も、起業家志望のR.M.さんには響いた。マレーシアの他の大学も紹介されたが、APU一択だったそうです。
いろんな人がいるっていうところは、APUはどの大学にも絶対負けない。中東からの人もいるし、アフリカ、ヨーロッパ、中央アジア、インド。本当にいろんな国の人と自然に交流が生まれる雰囲気がある。


出願と英語の準備
出願は「こんな簡単なんですか」
TOEFLは高2のときにアメリカの語学学校で1回だけ受験していた。普通くらいの点数だったが、APUの基準は十分にクリアしていたそうです。
こんな簡単なんですかって感じでした。エージェントの方も頑張っていただいて、僕自身は本当に簡単でした。
提出したのはTOEFLのスコアと高校の成績。出願手続きはほぼエージェント任せだった。ただし書類に不備があり、本来9月入学の予定が11月にずれ込んでいる。
事務手続きとかお金のこととか、本当に適当なんですよね。今やってる会社でも事務的なところが本当にわからなくて。「上手い感じにやっといて」って感じで。
手続き自体はシンプルだったが、書類の確認を自分でもしておく必要があった。R.M.さんの体験が物語っていました。
英語の3段階——文法、Discord、現地
R.M.さんの英語習得には3つの段階があったそうです。
第1段階:受験英語と語学学校
中高で文法と単語のベースは叩き込まれていた。TOEFL対策の参考書も買ったが「3分の1くらいしかやってない」。アメリカの語学学校ではTOEFLの授業を受けつつ、ネイティブの先生にライティングを毎日添削してもらっていた。
第2段階:Discordで国際コミュニティを運営
高2のとき、チャットアプリのDiscord上に国際交流コミュニティを立ち上げた。現在500〜600人が参加するこのコミュニティで、インド、チリ、オーストリア、ブラジルなど世界中の人と毎日雑談するようになった。
英語を勉強したいなら英語を勉強したらダメだ、嫌いになる。自分の好きなこととどうやったら繋げられるかって考えた時に、コミュニティを作ると英語を使わざるを得ないし、いろんな人と会えるのが楽しいから。
自分の得意分野であるコミュニティ運営と、英語学習を掛け合わせたやり方だった。「山登りが好きなら、外国人の山登りイベントに参加してみるとか。そういうのでいいと思います」とも話していました。
第3段階:現地で実際に話す
マレーシアで日常的に英語を使う環境に身を置いた。ただしマレーシアの英語には独特の訛りがあり、最初は苦労したそうです。
いろんな国の人がいるから、いろんな訛りがある。「この人の発音は聞き取れるけど、この人は聞き取れない」みたいなのがあって。それがめっちゃ難しいし、面白い。
アメリカ英語に慣れていた分、中国系やインド系の訛りには特に戸惑いがあった。それでも「伝わらなかったら身振りで伝えればいいし、絵に描けばいい」と、コミュニケーション自体を苦戦とは捉えていなかったようです。
両親の応援と祖父母の反対
R.M.さんの両親は最初から留学に賛成していた。父親が研究者として海外を転々としてきた経験もあり、海外に行くことへの抵抗がなかったようです。
うちの親はめっちゃ歓迎って感じで、お金も出してくれてるし。基本的に口出さない、ポジティブな放任って感じ。
一方で祖父母は反対だった。「日本の大学に行ってから海外に行け」と強く言われ続けていたそうです。R.M.さんはそれまで曖昧に流していたが、あるときはっきり伝えた。
「俺ならないから」って直接言って。今までそんな強気に出てなかったけど、きっぱり言ったことで、逆に「この子は肝が座ってる」みたいな感じになりました。
マレーシアに行く前には両親にプレゼンもしている。「会社を立てて大きくする」という目標のために、なぜマレーシアが重要なのか。資金を出してくれる親への説明として、自分の言葉で伝えたという話でした。
APUでの学びと環境
着いて3日で祭りに飛び込んだ
初めてのマレーシア。着いて3日後に、APU最大の祭り「ICN(International Cultural Night)」が開催されていた。外部の人も入れる文化祭のようなイベントで、ボランティアスタッフの募集を見つけたその日に「やります」と手を挙げた。
1週間後には日本から持ってきたハイチュウを配りまくって、運営側として動いてて。N高では基本的に引きこもってたんですよ。そこから一気にバーって世界が広がった感じがあって、めっちゃ楽しかった。
ICNをきっかけに、日本人留学生やさまざまな国の学生と一気に繋がりが広がっていったそうです。


R.M.さんにとって大きかったのは、マレーシアの「空気感」の違いだった。日本では満員電車や人混みの中で目線を上げるのすら怖く感じていたと話していました。
マレーシアだと普通にしていられるんですよ。楽しそうにしていいし、声をかけてもいい。変な奴は普通にいるから「またいるわ」みたいな感じで。
マレーシアに来て「帰りたい」と思ったことは一度もないそうです。
「質問ありますか」で手がめっちゃ上がる
APUの授業は2つの形式で行われる。「レクチャー」は数百人が入る講堂での座学、「チュートリアル」は30人程度の教室で学んだことを実際に使う実践型の授業。
R.M.さんが印象的だったと話すのは、教室の雰囲気だった。
「質問ありますか」って聞くと、めっちゃ手が上がるんですよね。日本だと誰も手を挙げなくて、大体僕だけが聞くみたいな状況。こっちだと僕が遅いくらいで、疑問に思ったらすぐ聞かないと順番が回ってこない。
疑問があればすぐに手が上がる。そういう積極性が教室の当たり前として根づいていたそうです。
グループ課題とテスト
課題の多くはグループワークで、数ヶ月後までにチームでシステムを開発して提出するような形式が中心だった。要件定義は自分たちで行い、実際にアプリを作り、仕様書としてレポートも提出する。「レポート半分、作業半分」という構成です。
テストはエッセイ、選択問題(MCQ)、穴埋めの3形式。学年が上がるにつれてエッセイの比率が高くなる。
90分で1000語とか書く時もあります。ITなのにめっちゃ書きました。書けば書くほど点数につながるから、時間いっぱいまで書く。
1学期あたり7〜10科目。各科目にレクチャーとチュートリアルがあるため、週に14前後の授業がある計算になる。「忙しい時は忙しいけど、そんなに厳しい感じじゃない。ただ課題を最後まで溜めると死ぬほど忙しくなる」とのことでした。
ちなみにモナッシュ大学マレーシア校と比べると「モナッシュの方が楽って言いますよ。楽な上にランキングも高い」とR.M.さん。ランキングや学業負担の軽さを重視するならモナッシュも選択肢になるが、APUには130カ国の多様性という独自の強みがあり、何を優先するかで評価は変わってくる。


イスラム教と「信じる力」
マレーシアはイスラム教の国。休み時間にお祈りに行く学生、ラマダン中は日中ご飯を食べない学生が当たり前のようにいる環境だった。
僕はマジでいないと思ってるけど、めっちゃいるって思ってる人がすぐ近くにいる。ものすごい驚いた。
宗教は人生に一切なかったものだったとR.M.さんは言う。でも、目の前で本気で信じている人を見て考えることがあった。人が信じるものによって行動は変わっていく。では自分は、自分の目標をあの人たちほどの強さで信じられているだろうか。そう問い直すきっかけになったそうです。
住まいと生活費の内訳
ゴキブリと暮らした最古の寮
入学直後はAPUの寮「J1」に住んでいた。APUにはJ1、J2、K1、K2の4つの寮があり、J1は最も古い棟。ワンルームにトイレ付き、キッチンは共有で、月約1,200リンギット。
毎日ゴキブリが出るんですよ。キッチンの方からドアの隙間を通って入ってくる。殺しきれないから、もう一緒に住んでました。
これはJ1特有の話で、J2やK1、K2では聞かないそうです。J1だけは気をつけた方がいいとのことでした。
「畑が欲しい」から始まった一軒家生活
農業クラブを運営していたR.M.さんは、「自分の畑が欲しい」とずっと周囲に話していた。するとある日、一緒に住んでいるわけでもない友達が不動産アプリ「PropertyGuru」で一軒家を見つけてきた。
「見つけたぞ」って。見たらめっちゃ安くて。内見に行って、そこから住みたい人を集めて、3人で住み始めました。
庭付き・畑付きの一軒家に日本人3人でシェア。APUから車で20分の距離で、家賃は3人合計で2,300〜2,400リンギット。APU周辺のアパートなら1人1,000リンギットを切ることも多いそうです。


生活費の内訳
R.M.さんの月々の支出をまとめると、以下のようになります。
| 項目 | 月額(目安) | 備考 |
|---|---|---|
| 家賃 | 約1,100〜1,200 RM | 一軒家マスタールーム、3人シェア |
| 食費 | 約750 RM | 外食7割・自炊3割。1日25〜30 RM |
| 通信費 | 約180 RM | 家のWi-Fi 150 RM + CelcomDigi 30 RM |
| ガソリン代 | 約200〜240 RM | 週1回給油 ※外国人は1.5倍に値上げ |
| 雑費 | 約300 RM | 服・交際費など |
| 合計 | 約2,500〜2,700 RM(約8〜9万円) |
※これは車を所有しているR.M.さんのケース。APU周辺のアパートでバイク通学なら、生活費は大幅に下がります。
学費は年間100〜200万円程度で、親が大学に直接支払い、学期ごとの分割。年々上昇傾向にあるようです。
銀行はMaybankを開設。大学からの紹介状とパスポートがあれば手続きできたそうです。国際送金には送金サービスのWiseを利用していました。
保険はAIG損保に加入(親が負担)。APU側にも大学保険があり、メディカルセンターの利用時に適用される場面があるそうです。また、エポスカードは海外留学生に人気で、カードを発行するだけで海外旅行保険が付帯するとのこと。
食事についてはマレーシアの多様さを気に入っていた様子。インド料理、マレー料理、中華、日本食。いろんな国の料理がマレーシアで食べられるのが魅力だと話していました。
一番うまいのは中華。マレーシアの中華は日本の中華よりうまい。あとはロティチーズタリックモッツァレラ。ロティにモッツァレラチーズを入れて伸ばすやつ。APUの食堂にもあるし、ママックにもある。
ママックと呼ばれるマレーシアの大衆食堂は24時間営業の店も多く、学生の味方。全体のレベルは日本が上だけど、「たまに日本を超えるようなめっちゃ美味しいご飯がある」のがマレーシアだそうです。
30万円の中古車は24時間で壊れた
R.M.さんはマレーシアで車を持っている。最初に自分の貯金で買ったのは30万円の中古車だった。
本当に24時間以内に壊れたんですよ。冗談じゃなくて。タイヤが飛んでいったり、ワイパーが取れたり、前から煙が出たり。マレーシアは車検がないんで、信頼できるところから買うしかない。
車を買ったのは「人を乗せたいから」。サークルのメンバーを家に送り届けるのにバイクでは足りないという理由だった。この車は毎日のように壊れ続け、あるとき両親がマレーシアに遊びに来た際、後部座席に乗った父親がブレーキの効きの悪さを体感した。
「さすがに危ないからお金出すから買い替えな」って言われて。車で死にかけてるって時に、初めて親に心配されました。
車の維持費も大きい。R.M.さんが乗っているトヨタ車の保険は年間約3,000リンギット。以前の中古車では年500リンギット程度だったそうで、車種によって差がある。車検がない分、保険と日々の点検が安全の頼りになる。
マレーシアでの運転免許は約10万円、取得に最低半年かかる。マレー語のみのコースなら5万円ほど。バイクの免許は2〜3万円で、2ヶ月程度で取れるそうです。
親御さんが安全性で反対するパターンも多いけど、バイク大国だから気をつけつつ。バイクの方が保険もガソリンも安い。
コミュニティを作る、という生き方
勝手に育てたナスが切られた日
R.M.さんには「プログラマーこそ農業を学ぶべきだ」という持論がある。災害や戦争が起きたとき、第一次産業と関わりのない人は真っ先に困る。そう考えて、APUの敷地内で無許可でナスを育て始めた。
結構育ってきたあたりに、除草業者が僕のナスを切っちゃったんですよ。我が子のようになるんです、育ててると。ある日死んだら本当にびっくりする。
悲しみと同時に、「許可を得ないと守られない」という気づきがあった。これがきっかけで農業クラブを正式に立ち上げ、APUから土地を借りて活動を始めた。大学にも水耕栽培のラボが設置され、レタスやトマト、キュウリ、ナスなどを水と栄養分だけで育てる施設で、クラブメンバーが手伝いをしているそうです。
学食で「サムライカレー」を売る
農業クラブの活動予算を確保するために、APUの学食でカレーを販売していた。朝仕込んだ日本式カレーをブースに持っていき、「サムライカレー」として売る。
プログラミング部を作り、Discordコミュニティを作り、農業クラブを作る。R.M.さんのやり方には一貫したパターンがあった。
コミュニティを作って、組織を作るのが好きなんですよね。自分の好きなこととやりたいことの溝をどうやって埋めるかって考えると、僕の場合はいつもコミュニティになる。
友人関係も自然と広がっていった。クラス、サークル、日本人コミュニティの3つが主な繋がりだったそうです。クラスメイトについても「マレーシアンチャイニーズの子が、僕が休んでたら授業内容を教えてくれたり、インドネシア人は陽気でバカみたいだけどめっちゃ思ってくれる人が多い。恵まれたクラスだった」と振り返っていました。


起業と休学
R.M.さんは在学中に会社を設立した。Webサイトの受託開発やAIチャットボットの制作を足掛かりに、世界に向けたアプリサービスを開発するのが目標だそうです。
人が無意識のうちに搾取されてる構造がいっぱいあると思って。スマホに依存させてドーパミン漬けにして、広告の収益を上げるみたいな構造。それを変えたい。人間が大事にしてるのは快楽だけじゃなくて、長期的な幸せとか愛情もあるから。
現在取り組んでいるのはスマホ依存を脱却するためのアプリで、6月にリリース予定。それが一段落したら大学に戻るつもりだと話していました。
会社を設立したことで休学を選び、今は日本に一時帰国してアプリ開発に集中している。
卒業するかはわからない。でも一旦は自分の会社で、自分の手で変えるっていう試みに挑戦したい。
落ち込んだ時の向き合い方
R.M.さんにはADHDの診断がある。気分の浮き沈みが大きく、「どうしようもなくダメな時」が定期的にやってくるそうです。
前はそういう時に自己嫌悪になってた。「なんでできないんだ」「でかい目標を掲げてるのにその程度か」って。すごい自分を責めちゃう癖があって。
あるとき、自分を責めることの本質に気づいた。
自己嫌悪って本当に楽な手段なんですよ。「自分がダメなんだ」って思うことで、ある意味救われようとしてる。諦めようとしてる。でもそこから生まれるものがない。自分を否定して嫌いになったところで、何がいいことあるん?って。
それ以来、落ち込みや失敗を「データ」として捉えるようにしている。「こういう条件があったらこういう状態になった」と、原因と結果で整理すれば、次にどう変えればいいかが考えられる。
自分を認めてあげて、失敗を一つのデータとして見て、次に活かせるように考える。それが一番楽しいし、生産的なんですよ。自分のできなさを「可愛いな」って許せるようになった。


これから留学を考えている人へ
マレーシアの治安は全体的にかなりいいとR.M.さんは感じている。ただし「ワンサウス」と呼ばれるエリアには注意が必要で、日本人留学生が被害に遭った話や、近辺で殺人事件があったという情報も耳に入ってくるそうです。住むエリアを選ぶ際には事前に治安情報を確認しておくことが大切です。
もう一つ、R.M.さんが強く伝えたかったのは、ドラッグについてだった。
マレーシアではドラッグの売買は極めて重い犯罪で、かつては死刑が科されていた。2023年に強制死刑は廃止されたが、長期の禁固刑が科される可能性は今も変わらない。実際に日本人が逮捕されたケースもあり、R.M.さんの周囲でも手を出してしまう学生がいたそうです。
吸ってるってだけで生殺与奪の権利を他人に握らせてるんですよ。合法な場所でやるのは自由だけど、わざわざ違法なことをして自分の人生に傷をつける必要はない。
海外に行けば気軽に誘われることがあるかもしれない。でもマレーシアでは冗談では済まない。在学中に実際に見てきた状況からの、はっきりとした言葉でした。
最後に、これから留学を考えている人へのメッセージを聞きました。
別に留学すべきって思ってない。他人がやってるからするっていうなら、しなくたっていい。でも自分がしたいって思う心があるなら、それはすべきだし、きっと素晴らしい未来が待ってると思う。世界は自由だから、自由に生きてほしい。
進学校を辞め、アメリカを離れ、大学を諦めかけた先にAPUがあった。R.M.さんはそこでもまた、自分で何かを作り始めている。


