アメリカの大学に通いながら、月の生活費は10ドル。家賃はゼロ、食費もゼロ。かかっているのは携帯の通信費だけです。
寮長をやれば住居費と食費が支給される。そう知って、4年制大学への編入と同時に応募しました。コミュニティカレッジ時代も、到着3日目にはキャンパス中を歩き回ってバイト先を探し始め、1週間で食堂の仕事をつかんでいます。食堂で働けば、キャンパス内の食事がすべて無料になる特典付きでした。
ただ、最初からこのルートを計画していたわけではありません。きっかけは共通テスト。日本の大学を目指していた進路が、そこから2ヶ月で大きく変わりました。エージェントは使っていません。頼りにしたのは、同じ年齢でアメリカのコミュニティカレッジに留学していた父親の経験だけでした。
今回お話を聞いたのは、テキサス州にある4年制大学の4年生、S.T.さん。沖縄の高校を卒業後、テキサス州のコミュニティカレッジに入学し、2年後に今の大学へ編入しました。専攻は化学工学です。(2026年1月取材)
「こんなに何もできない自分がいるんだ、って。楽しかったですね、むしろ」
S.T.さん
- ルート: 沖縄の高校→テキサスのコミカレ→4年制大学に編入
- 編入: 3校すべて合格
- 生活費: 月10ドル(寮長で家賃・食費ゼロ)
- エージェント: 不使用(家族3人で準備)
- TOEFL IBT: 81点(2ヶ月の準備、1回で取得)
留学の決断から出願、コミュニティカレッジでの2年間、4年制大学への編入プロセス。食堂バイトや寮長制度で生活費を抑えた方法、奨学金、銀行口座、携帯のeSIM。英語の壁への向き合い方、友達の作り方、治安面の注意点も含めて、エージェントなしで歩いたS.T.さんの4年間をまるごと聞いてきました。
留学を決めるまで
共通テスト後、「環境を変えたい」が浮かんだ
S.T.さんは高校時代、スポーツにも打ち込みながら日本の大学を目指していました。共通テストまでは完全に日本の大学一本。ところが、二次試験の準備が追いつかないという壁にぶつかります。
共通テストまで受けて、思ったより点数は取れました。ただ、志望する大学が微妙に視野に入るか入らないかぐらいで。二次試験の対策ができていなかったので、時間がなくて。
1年浪人するよりも、半年遅れで入学できるアメリカの大学に目を向けたのがこの時期でした。ただ、アメリカが最初の候補だったわけではありません。
もともと検討していたのはマレーシアのマラヤ大学。日本からの距離やアジア系の食事が合いそうなこと、ご両親も「マレーシアなら自分たちも行きやすい」と前向きだったそうです。しかし、自分でアドミッション(入学事務局)に連絡を取ったものの返事がもらえず、出願期間にも間に合いませんでした。
マレーシアが消え、そこからアメリカに舵を切ります。
日本にいても甘える未来しか見えないと思っていました。他の人からしたら逃げと言われるかもしれませんが、思いっきり環境を変えて海外に行きたいなと。自分は甘いタイプなので、英語しか話さない環境に身を置くことで、常に刺激を受け続けたかった。
1月に共通テストを終え、1月半ばから2月上旬にかけて親と一緒に考える中で、留学という選択肢が浮上。3月には二次試験を受けずにアメリカ留学を決めていました。
父の留学経験が道標になった
背中を押したのは、お父さんの存在でした。お父さん自身もS.T.さんと同じ年齢のときにアメリカのコミュニティカレッジに留学した経験があり、「思い切って環境を変え、国を変えてみるのもありじゃない?」と声をかけてくれたそうです。
S.T.さんが「やっぱり留学したい」と伝えたとき、お父さんの反応は「やっぱりな」でした。
お父さんを見て育っているので。お父さんも結構挑戦挑戦挑戦という形だったので、留学してアメリカ行きたいなと思った時に、「あ、やっぱお前もそう思うのか」という感じでしたね。
お母さんは留学には賛成しつつも、心配が尽きなかったようです。「本当に一人で生きていけるの?」「ちゃんとご飯食べられるの?」「英語、ちゃんと伝えられるの?」。生活面と英語力、この2つが一番の気がかりだったとS.T.さんは振り返ります。
コミュニティカレッジの選び方と出願
コミュニティカレッジ(通称コミカレ)は、アメリカ各地にある2年制の公立大学です。4年制大学に比べて学費が安く、ここで2年間学んでから4年制大学の3年次に編入するルートが広く使われています。
「日本人がいない+安い」でテキサスにたどり着いた
大学選びはお父さん、お母さん、S.T.さん本人の3人で進めました。
お父さんのコミカレ時代の経験が、情報収集の道案内になったそうです。お母さんが最初にコミカレの候補を見つけてきてくれましたが、ホームページがうまく見つからなかったり、どこに連絡すればいいかわからなかったり、手探りの状態が続きました。
インターネットがうまく普及していない時代に探した経験のあるお父さんが味方になってくれて、「これはここに大体あるんだよ」とか言ってくれたので、だいぶ心強かったです。
S.T.さんがお父さんに伝えた条件は一つ。「日本人がほとんどいないところがいい」。どうせ行くなら、日本人が周りにいて甘えるような環境ではなく、とことん自分を追い込みたいという思いからでした。
安くて日本人が少ないという条件で調べた結果、テキサス州がヒット。その中でアメリカ国内のランキングでもトップ10に入るコミュニティカレッジを見つけ、環境の広さや安全性も確認した上で、そこ1校だけに出願しました。お父さんから「出願すれば受かるよ」と聞いていたこともあり、他のコミカレは受けていません。


TOEFL IBT——2ヶ月の準備で81点
留学を決めてからTOEFLの準備に入ったのは4月。受験したのは6月の頭。準備期間はおよそ2ヶ月でした。
もともとS.T.さんにはリスニングの下地がありました。沖縄で育ち、幼少期から英語に触れる環境があったことが大きかったようです。一方でスピーキングには不安が残っていました。
TOEFL対策としては、朝起きたらTEDやYouTubeを英語で流し、映画も英語で見て、無理やり頭を英語モードに切り替える生活を続けたそうです。スピーキングの練習では、沖縄にいるアメリカ人と実際に話す機会を作ったり、お風呂の中で自分でお題を決めて英語でぶつぶつ話したり。
最初は1日5〜6時間ぐらいはしていました。最後の方はもう大丈夫かなって、ちょっと調子に乗って3時間ぐらいに減っちゃったんですけど。
結果、1回の受験で81点。コミカレの入学ボーダーが64〜67点だったので、余裕を持ってクリアしています。模擬試験の段階で「もう大丈夫かな」という手応えがあり、落ちるという心配はしていなかったそうです。
出願に必要だったもの
コミュニティカレッジの出願で必要だったのは以下の4点です。
- 高校の成績証明書
- TOEFL IBTのスコア
- エッセイ1本(志望動機、約2,000ワード)
- 予防接種の証明書
エージェントは一切通していません。学校のサポートもなく、出願はすべて自分で行いました(卒業後だったため高校にも頼れず、成績証明書を取りに行ったのみ)。エッセイは自分で書き、お父さんが添削。
文法とか気にせず、自分のただ思いを伝えようという形で書いていました。誇張もせずに、思いをまっすぐに。
エッセイの内容は「なぜこの大学で学びたいのか」が中心で、簡単だったという印象が残っているそうです。「とにかく英語のスコアさえ取れれば合格だよ」という感覚だったとのこと。出願は6月の半ば。1月の共通テストからわずか5ヶ月で、アメリカのコミカレに出願するところまでたどり着いたことになります。
コミカレから4年制大学への編入
3校受験——決め手はネームバリューではなく学費だった
コミカレで2年間学んだ後、S.T.さんは3つの4年制大学に出願しました。
| 大学 | 合否 | 結果 |
|---|---|---|
| テキサスA&M大学 | 合格 | 学費が現在の大学の1.5〜2倍→断念 |
| フロリダ州立大学 | 合格 | 奨学金がウェイトリストになり断念 |
| テキサス州の大学(現在の大学) | 合格 | 学費が最も現実的→進学 |
最初の第一志望はテキサスA&M大学。合格はしたものの、学費が今の大学の1.5〜2倍弱。ご両親は「払うよ」と言ってくれましたが、S.T.さん自身が「自分の進路なので、学費はなるべく自分で返せる範囲で」と考え、手が出せないと判断しました。
名前だけで聞いたらA&Mの方が断然有名ですが、ネームバリューだけじゃなくて、学費も結構関係しているという感じです。
フロリダ州立大学にも合格。日本人がもらいやすい奨学金、コミカレの成績に基づく大学からの奨学金、フロリダ州から出る奨学金——この3つを組み合わせればギリギリ通えるという計算でした。ところが、フロリダ州からの奨学金がウェイトリストに入り、「今学期出せるかわからない」という状況に。
S.T.さんの専攻である化学工学では、フロリダ州立の方がいい教授が多いと調べていたこともあり、「奨学金がもらえていたらフロリダに行っていた」と話していました。
最終的に選んだのは、学費が最も現実的だったテキサス州の大学。友人に連れて行ってもらい、テキサスA&Mと今の大学の両方のキャンパスを実際に訪問した上で決めたそうです。「百聞は一見にしかず」ということで、調べるだけでなく足を運ぶことを大事にしていました。
エッセイ6〜7本と推薦状4通の準備
編入の出願では、3校合わせてエッセイを6〜7本書きました。テーマは「なぜここで学びたいか」「これまでどんな生活を送ってきたか」「入学してどう貢献できるか」が中心。テキサスの2校は内容を少し変えて応用し、フロリダ州立大学向けには3本書いたそうです。
添削はコミカレ時代にお世話になった英語の先生に依頼。1ヶ月の間に10回弱、先生のオフィスに足を運びました。
なるべくAIとか使いたくなかったので、自分の英語力で書きました。やっぱり綺麗な文章でちゃんと英語力があるよというのは証明になるかなと思って。
先生は仕事が早く、お願いした翌日のお昼には返してくれたとのこと。一方で、書く側のS.T.さんの方に時間がかかり、2〜3日かけて修正してまた提出するサイクルを繰り返したそうです。添削で特に指摘されたのは時制などの文法面と、英語にもある「丁寧な言い回し」の存在。「敬語がない分どう言ってもいいと思っていたけど、こっちの言い方の方が相手を敬っているよという違いがあった」と気づいたと話していました。
推薦状は4人の教授に依頼。必要なのは2通でしたが、「あるだけあって損はない」と判断しました。いずれもコミカレで授業を受けた教授で、日頃からOffice Hour(教授が研究室を開放し、学生が自由に質問や相談に行ける時間)に足を運んで関係を築いていたことが活きたそうです。教授たちは編入の推薦状に慣れており、出願先の大学名を伝えるだけで「あのとこね」とすぐに対応してくれたとのこと。
なお、編入時に英語の試験は受けていません。コミカレで英語のクラスを取得していれば英語力の証明になるという制度があり、S.T.さんが出願した3校すべてに適用されました。
留学費用のリアル
コミカレ時代——到着3日でバイト探し、食費ゼロの生活
S.T.さんの費用に対する考え方は明確でした。ご両親は「学費は心配しなくていい」と言ってくれていましたが、本人は「最初の1学期分だけお願いして、そこからは自分で稼ぐ」と心に決めていたとのこと。このことはご両親には伝えていません。
アメリカに到着して3日以内に、キャンパス内を歩き回ってバイトを探し始めました。F-1ビザ(学生ビザ)の規定で留学生はキャンパス外では働けないため、キャンパス内の施設を一つひとつ回ったといいます。
食堂があったら食堂のボスみたいな人に「ここで働きたいんだけどボス呼んできてもらえませんか」ってひたすら言って回りました。「今雇ってないよ」とか「次の学期だね」って断られることもあったんですけど、食堂のおっちゃんが「たまたま昨日一人やめたからお前入れるか」って。
学期が始まって1週間ほどで食堂のバイトを獲得。このバイトには大きな特典がありました。食堂で働いている従業員は、キャンパス内にある他のファストフードやスタバも含めて無料で食事ができるというルール。つまり、3食すべてがタダになります。


住まいは、最初の1学期は寮(月500〜600ドル)でした。その後、友達に「寮を出ようと思っている」と話したところ、「俺の家に来る?」と声をかけてもらったそうです。
友達は大きな部屋に一人で住んでいて、ベッドが4〜5つあるうちの一つを使っていいとのこと。友達の両親に挨拶したら「日本から来たんだ、全然使いな」と言ってもらえて、家賃は月200ドル。キングサイズのベッド付き、自分専用のお風呂とトイレもある部屋でした。
F-1ビザでは、学期中に留学生がキャンパス内で働ける上限は週20時間(長期休暇中はフルタイム勤務が可能)。その範囲で稼ぎながら、コミカレの後半1年は学費も生活費も日本への渡航費も、すべて自分のバイト代でまかないました。
編入後——寮長になって住居費も食費もゼロ
4年制大学に編入するタイミングで、S.T.さんはRA(Resident Advisor=寮長)に応募しました。
食費と寮費が浮くというのがデカいと思って、ダメ元で出してみました。面接して、合格だよって言われて、ラッキーという感じですね。
寮長の仕事をする代わりに、住居費と食費が支給されます。通常の寮費が月800ドル程度なので、これだけで大きな節約に。食費はダイニングバックスという形で学生IDにチャージされ、キャンパス内の食堂・ファストフード・スタバなどどこでも使える仕組みです。
部屋は本来2人部屋ですが、寮長は基本的にルームメイトを持たないルールのため、5〜6畳ほどの部屋を一人で使えます。ベッドが2つ、勉強机が2つ、クローゼットとシンク。シャワーとトイレは1フロア約50人で共用(シャワーは6〜8個、カーテンとロッカー付き)。S.T.さんによると、大学のルールで寮にキッチンは設置されていないとのこと。
日用品も、キャンパス内にある生活支援の施設でシャンプーなどの消耗品を無料でもらえます。
本当に通信費ぐらいですね。月の生活費は10ドルです。
奨学金は3つ。GPA(成績の平均値、4.0が満点)3.5以上でもらえる成績優秀者向けの奨学金、大学院生と一緒に研究に参加していることで得られる奨学金、そして寮長としての奨学金です。学費は年2学期制で、1学期分はご両親からWise(銀行送金より手数料が安い国際送金サービス)で送金してもらい、もう1学期分は自分のバイト代と貯金で支払っています。


費用まとめとお金まわりの実務情報
S.T.さんの留学費用を時期別にまとめます。
| コミカレ前半(1年目) | コミカレ後半(2年目) | 編入後(現在) | |
|---|---|---|---|
| 家賃 | 寮:月500〜600ドル → 友人宅:月200ドル | 友人宅:月200ドル | 0(寮長特典) |
| 食費 | 0(食堂バイト特典) | 0(食堂バイト特典) | 0(寮長特典) |
| 通信費 | 月10ドル | 月10ドル | 月10ドル |
| 学費の負担 | 親 | 自分(バイト代) | 半分は親(Wise送金)、半分は自分 |
※ 寮長でない場合の寮費は月800ドル程度
銀行口座・送金
アメリカ到着後すぐにChase Bankで口座を開設。必要だったのはパスポートのみ。日本からの送金にはWiseを利用しています。普段の支払いはデビットカードが中心で、現金はほとんど使わないとのこと。友人と食事に行く際に割り勘分を現金で渡す程度だそうです。
通信
tello.comの格安eSIM(SIMカードの差し替えなしで、オンラインから契約できる通信サービス)で月10ドル(5GB+100分の通話+テキスト無制限、取材時点のプラン)。キャンパス内はどこでもWi-Fiが使えるため、5GBで十分とのこと。
保険・医療
日本で保険に加入しており、ご両親が管理。これまで一度も使ったことはないとのこと。コミカレ時代に野球中のスライディングで足を怪我し、キャンパス内の病院を利用したことがありますが、アメリカの大学では学費の中にStudent Health Fee(学生医療費)が含まれており、キャンパス内の診療所であれば無料で受診できました。
英語——聞けるのに話せない壁
幼少期の英語環境と、それでも足りなかったスピーキング
S.T.さんの英語の土台は幼少期に作られています。お父さんが英語を話せる環境で、仕事関係の外国人と接する機会も多く、ディズニー映画は英語で見る、「この時間は英語で喋ってみよう」と促される。そうした日常の中で自然にリスニング力が身についていました。
英語の勉強は中高で一切記憶がないですね。自分は本当に文法がめちゃくちゃなんです。
文法を体系的に学んだことはないものの、共通テストの英語は得意科目だったそうです。センター試験から共通テストに変わり、文法問題がなくなってリーディング中心の出題になったことが、「ゴリ押しで結構できる」形式になり有利に働いたとのこと。
ただ、リスニングができてもスピーキングは別の話。アメリカに着いてから、その差を実感することになります。
授業に出たり、バイトの申し込みをするときも、頭ではこう言いたいのに口から出てこない。何回もどもっちゃって。伝えたいのに言葉が出てこないという状況が何回かありました。
「普通のスピードで喋って」——壁を壁と思わない姿勢
見た目でアジア系とわかるS.T.さんに対して、現地の人はゆっくり話してくれることも多かったそうです。でも、S.T.さんは逆のお願いをしました。
そこは容赦なく、どんどん現地のスピードで自分のスピードで喋って、って友達には言っていました。
聞く分には問題がなかったので、「話すのは時間がかかるけど、聞くのは大丈夫だから普通に喋って」と伝えていたとのこと。
英語の壁に対するS.T.さんの向き合い方は一貫しています。
言語の壁を壁というふうに捉えないのが大事ですかね。話しかけた分だけどんどん成長しているなと感じたので、自分に課したハードルみたいなもんです。
「辛いこともあったけど、なんとかなるでしょうというポジティブ思考で乗り切っていました」とあっさり振り返ります。文法は今も正確ではないそうですが、意思疎通に困ることはなくなったとのこと。気がつけば、スピーキングで困る場面はほとんどなくなっていたそうです。
アメリカでの生活
「何もできない自分」を楽しめた最初の1週間
アメリカに着いて最初の1週間、帰りたいと思ったことは?と聞くと、S.T.さんの答えは即答でした。
いやもうないですね。こんなに何もできない自分がいるんだということに気づける。楽しかったですね、むしろ。明日どんなやつに会えるんだろう?明日どんなことを学ぶんだろう?というウキウキモードでした。
ネガティブな気持ちは一つもなかったそうです。ただ、一人暮らしの現実には早々に直面しています。食事の準備、洗濯、朝自分で起きること——高校では親がやってくれていたことを全部一人でこなす日々。到着1週間で洗濯物が山のようになってしまったとのこと。「やっぱ親ってすごいんだなぁ」と、ありがたみを実感した瞬間でした。
友達はバイトと授業がきっかけ
S.T.さんの友達づくりのスタートは、バイト先と授業です。
授業では、隣に座った人にわからないところを聞くところから始めたそうです。一人二人にターゲットを絞って話しかけていくと、自然と席も近くなっていく。そこから「この後何してる? 飯食いに行こうぜ」と発展し、さらに仲良くなると家に招いてもらえるようになるとのこと。
結構仲良くなってくると、スプリングブレークとかの休みに家に呼んでいただいて、友達の家族と一緒にクリスマスを祝ったりもできるんです。
コミカレ時代に仲良くなった友達のうち4〜5人とは今でも連絡を取り合い、お互いの大学を行き来する関係が続いているそうです。編入後はバイト先で出会った仲間と週に2〜3回会ったり、テスト前に一緒に勉強したりする日常。友人の国籍は幅広く、白人・黒人・ラテン系・インド系と満遍なく付き合いがあり、会話はすべて英語です。
一方で、4年制大学に移ってからはディスカッションのクラスが減り、授業中に話す機会が少なくなったことで、クラスをきっかけに友達を作るのは難しくなったとも話していました。編入後の一時期、友人とタイミングが合わず一人で過ごす時間が増えたこともあったそうですが、研究が始まってからはそうした時間も埋まり、日本にいる彼女との電話も支えになっていたとのことです。
文化の違いと驚き
文化の違いで一番びっくりしたのは、ラーメンの食べ方でした。
友達と友達の彼女と3人でラーメン食べてて、すすったら「お前汚っ!」って言われて。「日本ではこうやって食うんだよ」って言ったんですけど、「アメリカではすすらないよ」って。
今では日本に戻ってもすすらなくなったそうで、すっかり癖がついてしまったとのこと。
友人との会話で多い話題は、将来のキャリア、日本への興味、そしてS.T.さんの故郷・沖縄について。沖縄には米軍基地が多いため、「兄弟が沖縄で働いていたよ」という友人もいて、「沖縄のここ知ってる?」と共通の話題で盛り上がることが多いそうです。
治安——キャンパスは安全、都市部は注意
今の大学のキャンパスは比較的安全だとS.T.さんは話します。田舎に位置していることもあり、街灯が多く、近くの飲み屋が多い分だけ警察のパトロールも頻繁。キャンパス内は基本的に明るく、大きな問題はないとのこと。
一方で、コミカレ時代にはヒヤッとする経験がありました。
クラブに行った時、外からパーンって発砲する音が聞こえて、みんな慌てて従業員の人が「こっちに行ってください」って。
友人と訪れたヒューストンでは、薬物やアルコールの問題を抱えた人が多い地域を目にしたこともあったとのこと。テキサス州はメキシコと国境を接しており、違法薬物の密輸が問題になっている地域でもあります。
S.T.さんが心がけているルールは、夜はなるべく出歩かないことと一人で移動しないこと。友人の家から帰るときは車で送ってもらうようにしていて、「出歩かないに越したことはない」と話していました。
授業のスタイル
コミカレと4年制大学で変わったこと
コミカレの授業は、先生が前に立って講義をする形式が基本でした。英語と化学のクラスでは週1回のディスカッションがあり、グループに分かれて話し合い、代表者が発表する形式だったそうです。
自分は化学が好きだったので、英語力はないんですけど化学の知識は割とあった。つたない英語で知識を出すことで「お前こんなこともわかるんだ!」って、輪には入れていたと思います。
クラスの雰囲気は「思ったより真面目」という印象。課題は教科書の問題を解いてくるスタイルが中心で、提出期限が1週間程度あるため、計画的に進めれば負担にはならなかったとのことです。
4年制大学に編入してからは、雰囲気が変わりました。ディスカッションのクラスはほぼなくなり、出席率もあまり良くないそうです。「朝8時の授業だとほとんど来なかったり、イヤホンをつけたままぼーっとしている人もいたりする」とのこと。コミカレの方が真面目な雰囲気だったとS.T.さんは感じています。
課題の性質も大きく変わりました。
「こういう理論があります、あなたならどう解決しますか」みたいな、答えが一つじゃなくなってくる。自分の知識ベースで考える力が必要で、AIも使えなくなってくるなと思います。
成績を維持するために意識していたのは、教授との関係づくり。Office Hourに頻繁に足を運び、質問をする中で信頼関係を築いていったそうです。アメリカ史のテストで最後まで残っていたところ、教授に「あんた何がわかんないの」と聞かれ、わからない問題を伝えたら答えを教えてくれたこともあったとのこと。
やっぱ教授とのパイプを作っておくのは大事なのかなと思います。
これから
卒業後は日本の大学院、そしてOISTへ
S.T.さんは卒業後、日本に戻って大学院に進みたいと考えています。専攻は有機化学、触媒の研究。きっかけは、夏休みに日本の大学の研究室に参加させてもらったことでした。
朝の9時半から夜の9時半まで。学位のためですけど無給なので、お金はもらえず。
この経験を通じて教授とつながりができ、研究テーマについても話し合いを進めているそうです。
その先のプランは、沖縄にあるOIST(沖縄科学技術大学院大学)で博士号の取得を目指すこと。OISTを卒業すればアメリカに戻るためのパイプもあるとのことで、日本で修士→OISTで博士→その先はアメリカも選択肢に、というキャリアを描いています。


人見知りだった自分が変わった
留学を通じて自分が一番変わったと感じるのは「人見知りがなくなったこと」だそうです。
留学する前は人見知りだなぁと思っていたんですけど、今は日本に帰った際も初対面の人に自分から積極的に話しかけられるようになりました。人間コミュニケーションがないと意思疎通できないので、その大切さを留学で学べたかなと思います。
「逃げと言われても、結果で見せればいい」
最後に、これから留学を考えている人へのメッセージを聞きました。
「逃げ」って言ってくるやつは無視していいと思います。「逃げたよ。けどその結果こうなったんだよ」って。自分が正しいと思った選択をし続けてほしい。
そして、もう一つ伝えたいことがあるとS.T.さんは続けました。
ある程度の人は親の支援があって、誰かのサポートがあっての留学だと思うので、感謝の気持ちを忘れず、今できる全力を出してほしいなと思います。
共通テスト後にアメリカ留学を決め、父親の経験を頼りにエージェントなしで4年間を歩んできたS.T.さん。この夏テキサスを離れ、次は日本の大学院で有機化学の触媒研究へ。視線はすでにその先に向いています。









