海外の大学に進学したい。でも、自分の周りには海外大学を受験した人がいない——そんな状況で情報を集めようとしても、何から始めればいいのかわからない。
インターナショナルスクールや帰国子女が多い高校なら、先輩の体験談やノウハウが蓄積されているかもしれません。留学エージェントを使えば、手続きを代行してもらえるかもしれません。けれど、普通の公立高校から海外大学を目指す場合、そもそも「誰に聞けばいいのか」すらわからないことがあります。
今回お話を伺ったM.Kさんは、まさにそんな「情報も前例もない」状況から、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)に進学しました。
M.Kさん
「周りに前例がなくても、自分で調べて道は作れる」
- 出身: 神奈川県の公立高校
- 大学: UBC(ブリティッシュコロンビア)
- 出願: 13校、エッセイ約20本
- 転機: 夏の4ヶ月で英語に自信がついた
特別なバックグラウンドがあったわけではありません。高2の夏に「ちょっと遅かった」と焦りながら調べ始め、日本の共通テストと海外大の出願締切が重なるスケジュールを一つずつこなしていき、最終的に世界でも指折りの名門、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)への進学を決めました。
合格までの細かな試行錯誤や、現地で直面した「英語が通じない」という現実、そして時間をかけてその環境に馴染んでいった過程。
海外に住んだ経験はなく、周囲に海外大学を志望する友人もいなかったそうです。エージェントも使わず、大学のウェブサイトを自分で読みながら、一人で受験準備を進めていきました。M.Kさんにその時の様子を、詳しく聞いてきました。

海外大学に行きたい。でも「やり方」がわからなかった
英語は得意だった。でも「このまま普通に進んでいいのか」という気持ちがあった
M.Kさんが海外大学を意識し始めたのは、中学3年から高校1年にかけての頃だったそうです。きっかけは、小学生の頃から続けていた英語学習でした。
親に英検を勧められて勉強していくうちに、周りより英語が得意になっていきました。このアドバンテージをみんなに取り返されたくないなと思って、自分でもちゃんと勉強するようになりました。
小学生で英検2級を受験するかどうか、というタイミングで、フィリピン・セブ島の語学学校に短期で通った経験もあったそうです。ただ、それ以外に海外で長期間過ごした経験はなく、家族旅行でハワイに行く程度でした。
英語が得意という自覚はあったものの、それが「海外大学に行く」という選択肢に直結していたわけではありません。むしろ、日本の教育スタイルへの違和感が、海外を意識するきっかけになったようです。
学年を進めるにつれて、頭に詰め込むだけの、同じことの繰り返しでどうせすぐに抜けていくという勉強スタイルに飽き飽きしてしまって。どうせ同じ勉強するなら、他の人と違うことをしたいと思いました。
「他の人と違うことをしたい」という気持ちと、「海外に行きたい」という漠然とした憧れ。そして、「一般の人が海外に出た時点で、いろんな壁にぶつかると思うので、そういうことを通して自分を強くしたい」という思い。これらが重なって、海外大学という選択肢が浮かび上がってきたと言います。
ただ、その時点では「行きたい」という気持ちがあっても、「やり方がわからない」という状態でした。
行きたいなとは思っていました。ぼんやりとですけど。でも、ちょっとやり方がわからないみたいな感じでした。
公立高校に前例なし。先生が見つけてくれたのは4年上の先輩だけ
M.Kさんが通っていた公立高校は、進学校ではあったものの、海外大学を目指す生徒はほとんどいませんでした。
周りに海外大学の選択肢を持っている友達は一切いませんでした。先生に進路希望で「海外に行きたいです」と伝えても、海外大受験の方法を知っている先生がいなかったんです。
先生も協力的ではあったものの、具体的なノウハウを持っているわけではありませんでした。先生が調べてくれて、ようやくつながったのは、同じ高校出身で海外に留学していた4〜5年上の先輩でした。
どうにか先生がつなげてくださった人が、4個上か5個上の留学していた先輩くらいでした。その高校の出身の先輩を調べてくれて、メールしてくださったんです。
それ以外に、直接話を聞ける相手はいなかったそうです。M.Kさんによると、その高校から「自分でちゃんと海外大学を志望して、いろんなフォーマットを通して海外大受験をする」人は、4年に1人いるかどうか、という印象だったそうです。
国立大学に落ちて浪人する過程でコミュニティカレッジ(community college:2年制の公立大学)に進む人は年に1人くらいいるものの、最初から海外大学を第一志望として受験する人はほとんどいなかったと言います。
「もっと早く知ればよかった」——情報収集の困難さ
海外大学の受験で一番大変だったことを聞くと、即座に「情報」という答えが返ってきました。
もっと早く知ればよかったなということがたくさんあります。学力とかも結局、全部情報につながってくると思うんです。それがなかったことで悔しいなと思った経験は何回もあります。
親が英語を話せるわけではなかったため、情報収集の多くは自分で行う必要がありました。
親が英語を話せるわけではなかったので、日本人向けにまとめた情報を見てくれることはありましたが、結局、最終的には大学の公式ウェブサイトを自分で読み込むしかありませんでした。
情報収集に使っていたのは、日本語でまとめられた留学情報サイトや、海外大受験の経験者が書いた本などでした。ただ、それらの情報は必ずしも最新ではなく、気になった大学があれば、結局その大学の公式ウェブサイトを自分で読み込む必要がありました。
エージェントは使わなかったそうです。費用の問題もあったかもしれませんが、それ以上に「自分で調べて、自分で判断する」というスタイルで進めていったようです。
高2の夏から始めた情報収集と受験準備
「ちょっと遅かった」と振り返る、調べ始めの時期
M.Kさんが本格的に情報収集を始めたのは、高校2年の夏頃でした。
高1の頃はちょっと怠惰だったので、成績だけ頑張ろうという感じで、あんまり調べず、高2に入って、高2の夏くらいからいろいろ調べ始めました。SATとか、何が必要なのかを知ったのはその頃ですね。ちょっと遅かったなと思います。
SAT(アメリカの大学入試テスト)やIELTS(英語能力テスト)の存在は「うっすら知っていた」ものの、具体的な仕組みや必要なスコア、出願のスケジュールなどを調べ始めたのは高2の夏からでした。振り返ると「遅かった」という感覚があるそうです。
高2の1月、初めてのIELTSとSAT
高2の夏から情報収集を始め、高2の1月にIELTSとSATを初めて受験しました。これがM.Kさんにとって「初めての大学受験のためのテスト」でした。
M.Kさんのテストスコア
| テスト | 受験時期 | スコア | 備考 |
|---|---|---|---|
| IELTS | 高2の1月(初回) | 6.0 | 出願最低ラインは満たすが、奨学金を狙うには不十分 |
| IELTS | 高2の3〜4月(再受験) | 7.0 | 大体の大学に出願できるギリギリのライン |
| SAT | 高2の1月 | 1400/1600 | 数学:満点近く 英語(Reading & Writing):600点程度 |
IELTSの初回スコアは6.0。出願に必要な最低ラインには達していたものの、奨学金を狙うにはもう少し高いスコアが欲しいところでした。
満たしてはいるのですが、奨学金が欲しいならもっと高い方がいいよねくらいの点数だったので、一旦IELTSはもう少し頑張ろうと思いました。
高2の終わり(3月〜4月頃)にもう一度IELTSを受験し、7.0を取得。「大体の大学に出願はできるだろうというギリギリのライン」に達したため、IELTSはそこで一区切りとしたそうです。
SATは、数学と英語(Reading & Writing)の2科目で構成されています。数学は日本の高校で学ぶ内容で十分対応でき、M.Kさんも満点近くを取れたそうです。問題は英語でした。
SATの英語は、英語学習者ではなく英語話者向けのテストなので、最初はとても大変でした。英語が800点分の本当に最初半分くらいしか取れなくて、もう何を言っているかわからない、単語がわからないという状況でした。
最終的なSATのスコアは1400/1600。数学は満点近く、英語は600点程度という内訳でした。アイビーリーグなどトップ校を狙うには1450〜1500以上が必要と言われているため、1400というスコアは「出していいかわからない」ラインだったそうです。
1400だともう出していいか分からなくて、結局使わなかったという大学も結構あります。中堅かちょっと上かくらいの大学だったら1400で通じるとは思うのですが、半分くらいの大学には出さなかったかな。
高3の夏からエッセイ執筆開始
高3の夏に入る頃から、エッセイの執筆が始まりました。アメリカの大学に出願する際に使う「Common App」(共通出願システム)というポータルサイトには、すべての大学に共通で提出する大きなエッセイがあり、まずそれを夏休み中に書いたそうです。
ただ、M.Kさんの高校では、体育祭などの学校行事が高3の夏休みから9月にかけて集中していました。
私の高校が学校行事や体育祭の山場が高3の夏休みから9月まであるのですが、そこにドンピシャだったので、夏に入るくらいにSATとエッセイが始まり、体育祭でいっぱいいっぱいだったのが高3の夏でした。
テスト(IELTSとSAT)は夏で一旦終了し、9月以降は各大学向けの個別エッセイを書き進めていくことになりました。
13校出願、エッセイは約20本
出願したのは合計13校。アメリカとカナダの大学を受験しました。
出願の内訳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出願校数 | 13校(アメリカとカナダ) |
| エッセイ数 | 約20本 |
| 1校あたりのエッセイ | 3〜4本必要な大学もあり |
どれくらいで自分が受かるのかわからなくて、結構滑り止め的な大学も受けて。アリゾナ州立大学とか、オハイオとか、みんなが結構受けるところも受けました。あとは手が届かないであろうけど、海外で受験した身として受けてみたかった高いレベルの大学とかもですね。
エッセイは、1校につき3〜4本必要な大学もあり、合計で約20本書いたそうです。
13校に出願して、エッセイは一つの大学で4本くらいあったりするので、内容を使い回してはいるのですが、20本くらい書いたりというイメージですね。カナダはエッセイがほぼいらないので、基本的にはアメリカの大学向けに書いていました。
最初のうちはブレインストーミング(アイデア出し)に時間がかかり、1校分のエッセイを書くのに1週間くらいかかっていたそうです。ただ、後半になると使い回しができるようになり、学校特有の内容だけを変えて付け足す形で効率化していきました。
12月〜1月、最も忙しかった時期
一番大変だったのは、12月から1月にかけての時期でした。
アメリカの大学の出願締切は多くが12月31日。カナダの大学(UBCなど)の締切は1月15日頃。そして、日本の共通テストは1月10日頃。これらが重なったのです。
共通テストを入れてしまったので、共通テストが1月10日とかそのあたりだったと思うのですが、ちょうどカナダの出願の締め切りが15くらいで、本当にUBCとか特にちゃんとエッセイがあったので、間に合わないとなって。日本の受験と海外大受験の両立は、正直苦しみました。
共通テストや早稲田大学の国際教養学部なども受験したそうです。ただ、それは「みんなと一緒に受ける経験として」であり、日本の大学に行く気持ちは最初からなかったと言います。
行かずに、やっぱり得られるものが違うというか、そこを志望して3年間勉強していたわけではないので。ただ経験として、せっかくやってきたなら、日本だったらどのくらいの実力になるのかなというのは知りたくて。
それでも、「みんな1年間とか勉強してくるので、失礼だなと思ってちゃんと勉強していました」とのこと。中途半端な点数は取りたくないという気持ちがあったようです。
カナダの大学は、アメリカの大学に比べると準備することが少なかったそうです。
カナダは本当にあまり準備することが多くないので、成績と、先生からのリファレンス(推薦状:Recommendation Letter)が必要ないところも多くて。IELTSがあって成績があって、たまにエッセイがちょろっとあれば、アプライ(apply:出願)できる大学が多いです。
そのため、カナダの大学への出願準備は後回しになりがちで、「本当に最後にしかかけてなくて、基本的にずっとやっていたのはアメリカの大学に対するアプリケーション(application:出願書類の準備)でした」とのことでした。
なぜカナダ・UBCを選んだのか
アメリカも受けた。でも「怖い」と感じた
M.Kさんは13校に出願し、最終的にはカナダのUBCを選びました。アメリカの大学も複数受験していましたが、いくつかの理由でカナダを選んだそうです。
アメリカも全然受けていたんですが、最終的に親と話して、ちょっと怖いなとなりました。治安のこともありますし、当時はトランプさんの時期で、ビザの関係もあって、みんなアメリカの大学に行くのが怖いという雰囲気がありました。
M.Kさん自身も、海外経験がほとんどなかったこともあり、治安への不安が大きかったと話します。
治安が一番の心配、不安要素でした。アメリカ本土には行ったことがなかったので、もともとちょっと怖いなと思っていて。州別の犯罪率なども調べていたくらいです。
「夜中に街で一人歩ける感じが違う」という点も、カナダを選んだ理由の一つでした。
トロント大学やマギル大学を選ばなかった理由
カナダの中でも、トロント大学やマギル大学など他の大学も候補にあったそうです。ただ、気候や雰囲気を考えた結果、UBCを選んだと言います。
トロント大学は、まず寒すぎるのと、あといろんな人から聞いた雰囲気的にちょっとネガティブオーラが出ていて。
トロント大学は「University of Tears(涙の大学)」と呼ばれることもあるそうで、勉強がハードというイメージがあったようです。実際に行ってみれば良い大学なのかもしれないけれど、イメージとして「本当に勉強集中型の大学」という印象を持っている人が多かったとのこと。
息抜きできないと死んじゃうタイプなので、海とか山とか見れる方がいいかなと思いました。トロントはシティベースで、街の中にいろいろビルディングがあったり、都会の中にある感じなので、それよりはバンクーバーの方がいいかなと。
マギル大学(モントリオール)も同様の理由で候補から外れたそうです。
学費も判断の一つだった
学費も判断材料の一つでした。アメリカの大学からも奨学金のオファーがあったそうですが、カナダドルの方が米ドルより安く、トータルで考えるとカナダの方が現実的だったとのことです。
University of Massachusetts Amherst(マサチューセッツ大学アマースト校)という、私の専攻であるフードサイエンス系で有名なアメリカの大学があって、そこも迷いました。奨学金も出してもらえたんですが、カナダドルの方が安くて、それならカナダでいいかなと。
最終的には、治安・気候(寒すぎない)・自然環境(海と山がある)・キャンパスの雰囲気・学費というポイントを総合して、UBCを選んだそうです。


入学直前、ビザが届かなかった
9月入学のはずが、1月にずれ込んだ
M.Kさんは2024年9月に入学する予定でした。ところが、学生ビザが間に合わなかったのです。
5月くらいにビザを申請したんですが、その時期ちょうどカナダのビザがすごく遅い時期で、運が悪かったと思います。9月15日くらいが期限で、その1週間後にやっとビザが届いたので、結局その学期は全部キャンセルして、1月からのスタートになりました。
コースの登録も済ませ、寮も決まり、費用も払っていた状態でした。みんなと一緒に9月から授業を受けるつもりで、すべて準備が整っていたところに、ビザだけが届かなかったのです。
もうコースも9月からの全部レジストレーションしてて、みんなと一緒にしてて、もう家も決まってて、もう全部払っていた状態で、私だけビザが来なくて。
4ヶ月間、途方に暮れていた
9月から1月までの約4ヶ月間、M.Kさんは日本で待機することになりました。
行けなかったことに対して結構途方に暮れていました。4ヶ月間、本当にどうしようという感じでした。
コース・寮・費用をすべてキャンセルして、1月からの入学に向けて最初から立て直す必要がありました。手続きにも時間がかかったそうです。
高校を卒業してから大学に入るまでの間、M.Kさんは塾講師や家庭教師のアルバイトをしていました。もともとは大学入学前の短期間だけのつもりでしたが、ビザの遅延によって、結果的に長い期間働くことになりました。
みんなが4ヶ月先を行く中でのスタート
2025年1月、ようやくカナダに到着しました。
やっと着けた、嬉しいという感覚がすごくあって。でも忙しい1週間でした。
周囲の学生はすでに4ヶ月間の大学生活を経験していて、スマホや銀行口座などの生活基盤も整っている状態でした。
みんなはもう4ヶ月大学生をやっていて、スマホや銀行とかそういうのは全部整っている状態だったので、そういう人たちに聞きながら大学中を右往左往していました。結構大変な1週間でした。
ビザの遅延による影響は、生活面だけではありませんでした。1年生で取るべき授業の一部が、M.Kさんが入学した1月の学期には開講されていなかったのです。そのため、翌学期には1年生と2年生の授業を同時に取らなければならなくなりました。
去年いけなかった期間にしか開講されていなかったコースというのがあって、それを2年生のコースをプラスで取っていたので、他の人から見ても信じられないくらいの授業数になっちゃって。
現地での学び——授業スタイルと課題量
大きいレクチャーと、小さいディスカッション
UBCの授業スタイルについても聞いてみました。
UBCは学生数が多い大学です。1〜2年生のうちは、理系であれば化学・生物・数学など、多くの学部で共通して履修する科目があり、そうした授業は大人数で行われることが多いそうです。
生物数学化学あたりは、200人くらい入る大きい教室が多いですね。私の学部、フードサイエンス系の学部だと、そもそもそこの中に人が少ないので、そのレクチャー(lecture:講義)だと多くて60人くらいかなという印象です。
大きなレクチャーに加えて、少人数のディスカッション(discussion:討論・討議)やグループワーク(group work:グループでの共同作業)の機会もあります。
だいたいそういう授業に1回ディスカッションのクラスがあって、20人くらい。その中でまた小さな4、5人のグループに分かれて、グループプロジェクトとか、キャッチアップ系の小さいレクチャーとか、そういうのが付いてくる感じです。
つまり、大きなレクチャー+少人数のディスカッション+グループプロジェクト、という組み合わせが基本的な授業の形式になっています。
「日本の大学生より全然勉強している」
課題の量についても聞いてみました。
日本の学生を経験していないので比べられないのですが、自分のイメージとして、本当に海外大の人たちはすごい勉強するというのはあったので、それは覚悟していた通りという感じでした。
日本の友達と話すと、勉強量の違いを感じるそうです。
結構友達に聞くのですが、MARCHの文系とかだと、『えっ、勉強しないよ』という子が結構多くて。テストをちょっとやるけど本当に勉強しないよって言っていて、びっくりしました。
M.Kさんの話では、慶應や早稲田、国立大学の理系、医学部などはそれなりに勉強しているようですが、それでも自分の勉強量を話すと「ありえない」「そんな勉強できるわけない」という反応が返ってくるそうです。
理系と文系では、課題の出方や成績評価の仕組みが異なるようです。M.Kさんによると、理系は普段の課題よりもテストの比重が大きく、文系はエッセイやリーディングなど普段の課題の積み重ねが多いとのことでした。
授業より難しかったのは、友達との会話だった
授業は聞けた。でもグループの会話は「3秒でわからなくなる」
M.Kさんは、日本にいる間もそれなりに英語を勉強してきたつもりでした。IELTSで7.0を取得し、SATでも1400点を取っています。旅行や日常会話くらいなら問題ないはずでした。
ところが、現地に行ってみると「全然喋れなかった」と言います。
旅行できるくらいの英語はあったので、タクシーに乗るとか、受付の人に話すとかは緊張しながらもできる状態でした。でも、現地の子と友達との会話が一番できなくて、最初の数週間どころか数ヶ月くらいは手こずりました。
意外なことに、授業を聞くのは問題なかったそうです。
授業の方が全然聞けました。友達との会話より。授業は、ゆっくりでスラングもなく、一人の人が静かな中で喋っているので、テストのリスニングみたいな感じなんです。
問題は、友達同士のカジュアルな会話でした。特にグループでの会話が難しかったそうです。
グループ内で話されていると、3、4人が同時に喋ったり、グループの会話ってどんどんテンポが速くなっていくので、もう3秒くらいでわからなくなることが多くて。1対1だと合わせて喋ってくれることが多いので会話できるのですが、グループの話になった瞬間ついていけなくなっていました。
スラングがわからない、笑いのツボがわからない
会話についていけない原因は、スピードだけではありませんでした。スラングがわからないこと、そして「笑いのツボ」がわからないことが、特に辛かったそうです。
スラングがまったくわからなくて、あと感性的な問題で、みんなが笑うポイントとか、なんでこれが面白いのかとか、話の中でそういう落ちが全然つかめなかったんです。
友達のグループでご飯を食べようと誘われても、一人だけポカンとしていることが多かったと言います。
流行っているミーム(ネット上で共有されるジョーク)がわからず、置いてけぼりになる感覚も経験したそうです。
アメリカやカナダですごく流行っていたミーム(meme:ネット上で共有されるジョークやネタ)があって、誰かがそれを言うとみんなすごく笑っているんですけど、私は最初それを知らなくて、何を言っているんだろうこの人たちは、という感じで、レフトアウト(left out:置いてけぼり)にされた気分をずっと味わっていました。
「自分がつまんない人間だな」と思っていた
英語が通じないことで、M.Kさんは自己肯定感が下がっていった時期があったそうです。
自分がつまんない人間だなってずっと思っていました。
それでも、日本に帰りたいとは思わなかったと言います。
帰りたいとは思わなかったですね。4ヶ月待たされた期間があって、ずっと行きたい行きたいと思っていたし、高校から自分で行きたいと思って日本の選択肢を捨ててここに来たので。日本に帰りたいとは全然思いませんでした。
夏の4ヶ月で変わったこと
ほぼゼロからのスタート
1月に入学してから、最初の数ヶ月は英語に苦戦し続けていたM.Kさん。転機が訪れたのは、夏休みの4ヶ月間でした。
当時、それまで付き合いのあった日本人の友達はほとんどバンクーバーを離れていました。M.Kさんは夏の授業を取りながら現地に残り、「ほぼゼロからのスタート」になったそうです。
夏の間は、元々UBCに来た時は日本人の一人か二人の女の子しか知らない状態で行ったのですが、そういう日本人の友達もいないし、最初の方に作った友達もいないし、というほぼゼロから始めました。
その状況で、M.Kさんはある意味開き直ったと言います。自分のことを知っている人が誰もいない。他人の評価も気にならない。どうせ英語は喋れないのだから、失敗しても恥ずかしくない——そんな心境だったそうです。
結構焼けくそだったんですが、自分のことを知っている人は誰もいないし、他人の評価も何も気にならないレベルまで、自分への期待もなかったので。
その「焼けくそ」の状態から、M.Kさんは積極的に友達を作り始めました。
日本語を喋れない友達グループとの出会い
夏の間に仲良くなったのは、チャイニーズ・カナディアン(Chinese Canadian:カナダ生まれ・カナダ育ちの中国系カナダ人)のグループでした。
その子たちが結構全員アウトゴーイングな子が多くて、めちゃめちゃ話しかけてくれるし、分からなそうだったらちゃんと後からキャッチアップしてくれる、先生みたいな。
M.Kさんにとって、日本語を一切使わない環境で長時間過ごすのは初めての経験でした。勉強自体は大変ではあったものの、ストレスの大部分は英語から来ていると感じていたそうです。
その4ヶ月で、スラングがわかるようになり、こっちの文化での笑いもわかるようになっていったそうです。
自分の中でちゃんとスラングが分かって、笑いがこっちの文化での話題の笑いというのが分かるようになると、ちゃんと自信を持てる感じがしたんです。その自信を持ってからだいぶ人と話すのが怖くなくなりました。
9月になって、ようやく「自分の素を出して英語で喋れるようになった」と感じたそうです。
夏を経て気づいたこと
9月に入り、それまでバンクーバーを離れていた日本人の友達が戻ってきました。
夏の間に日本語を喋れない友達グループと過ごせるようになったM.Kさんを見て、日本人の友達は驚いたそうです。その反応を通じて、M.Kさんはある気づきを得たと言います。
やっぱりそう思われていたんだ、と思いました。
それは、自分が「英語ができない人」として見られていたのだ、という気づきでした。「英語を勉強するため」ではなく、「本心から仲良くなりたい」と思って友達になれる——そのこと自体が、周りからは意外に思われていたようです。


現地での生活——想像と違ったこと
中国系の学生がとても多い
UBCに来て一番驚いたことを聞くと、「中国人がすごく多いこと」という答えが返ってきました。
どういう意味でも悪い意味でもないのですが、バンクーバーがここまでアジアにドミナントなのを知らなくて。こんなに割合が違うんだと思ったくらいです。
感覚的には、UBCの学生の4割くらいが中国系ではないかとのこと。他のアジア系(インド系など)も合わせると6〜7割くらいがアジア系で、白人や黒人の学生は3割くらいという印象だそうです。
バンクーバーの下にあるリッチモンドというところは、本当にほぼ全員が中国人で、中国人の街みたいな感じなんです。そういう街があることも知らなくて、人種の割合が思ったよりアジア人が多くてびっくりしました。
M.Kさん自身の友達も中国系が多いそうです。「全然嫌とかじゃない」と強調しつつ、事前のイメージとはかなり違っていたとのことでした。
多言語が聞こえる環境へのストレス
中国系の学生同士が中国語で話していたり、韓国人同士が韓国語で話していたり、自分の知らない言語が周りで飛び交う環境は、最初ストレスだったそうです。
私の環境的には日本人が周りにいないという、今まで一つの言語しか聞こえてこなかったものがいきなり、いろんな言語が聞こえてくる環境になって。一度に多言語が聞こえてくる環境というのは、慣れるのにはまあ時間がかかりました。
周りで何を話しているかわからないと、「自分の悪口を言われているんじゃないか」と心配になることもあったそうです。
他の言語だとどうしても自分がわからないと、自分の悪口を言われているんじゃないかと結構心配になっちゃうのですが。本当に毎回心配になったのですが、心を強く持って、何も気にしないという。もう何を話していても別に何も気にしないし、何を言われてもどうでもいいなと思えるようになりました。
治安は思ったより良かった
治安については、事前の心配ほどではなかったようです。
思ったより差別は受けたことがなくて。カナダ、特にバンクーバーはやっぱり多民族というか、アジア人がもともと多い国なので。
一度だけ、カフェで席を取られたことがあったそうです。注文から戻ってきたら、もともと座っていた席に年配の白人男性が座っていて、「君ら何も知らないんでしょ、俺の席だよ」という態度を取られたとのこと。ただ、それ以外では差別的な扱いを受けた経験はないそうです。
キャンパス内は夜歩いても安全で、住宅街も夜遅くに帰っても怖い思いをしたことはないとのこと。ただ、ダウンタウン(downtown:都心部)に行くと、昼間でも薬物の影響を受けている人を見かけることがあるそうです。
カナダって結構薬物などあるので、様子の変わった人たちが多いのですが、私が住んでいる住宅街などは結構安全で、夜遅くに帰っても暗いから怖くはあるのですが、実際怖い思いをしたことはないかな。
アメリカだったら夜間のルールを自分で決めていたかもしれないけれど、バンクーバーでは「作ろうと思わないということは多分大丈夫」という感覚だそうです。
これから留学を考えている人へ
M.Kさんは現在、UBCの2年生として学んでいます。専攻はフードサイエンス系で、将来は植物性タンパク質の研究や商品開発に携わりたいと考えているそうです。
高校時代にはInstagramで「日本×ビーガン」(vegan:動物性食品を一切摂らない完全菜食主義)をテーマに食の情報を発信していたそうで、その課外活動が今の専攻につながっていると言います。
これから留学を考えている人に向けて、こんなメッセージをくれました。
早めに情報を集めて、早めに動き出したもん勝ちだと思います。受験を通して感じたのは、自分だけで調べるには限界があるということです。日本にいる以上、エージェントでも何でも、使えるものは使って情報を集めた方がいいと思います。
「もっと早く知ればよかった」という後悔を何度も口にしていたM.Kさん。公立高校から海外大学を目指す場合、情報へのアクセスが限られているからこそ、早めに動き出すことが重要だと感じているようです。
この記事の続き
この記事では、M.Kさんが海外大学を目指した経緯から、現地での生活に適応するまでの流れをお伝えしました。
M.Kさんへのインタビューでは、このほかにも受験準備の具体的な進め方や、現地での生活費の内訳について、詳しく話を聞いています。
受験準備と生活費のリアル|公立高校からUBCへ——M.Kさんの判断と選択
- 高校時代の学習——どう両立したのか
- 「学校の勉強は学校で終わらせる」という考え方と、その前提
- IELTSの勉強法——どのように取り組んだか
- スピーキングの伸ばし方——発音を意識した練習
- SATの勉強法——「何を言っているかわからない」状態からのスタート
- SATのスコアと、出願先の選び方への影響
- 13校出願・エッセイ約20本の内幕
- 出願校の選び方——滑り止めからチャレンジ校まで
- エッセイの量と時間配分——最初の1本が一番時間がかかる
- エッセイで意識したこと——大学のウェブサイトの読み込み方
- 添削で指摘された「日本人の謙り」
- 推薦状の準備——公立高校での2段階プロセス
- お金の話——費用をどう考えたか
- 家賃——シェアルームの場合
- なぜ2年生は寮に入れないのか——UBCの仕組み
- 住居はどうやって見つけたのか
- ルームメイトとのルール
- 食費——自炊と外食のバランス
- 交通費——学費に含まれる定期券の仕組み
- 通信費——どの会社を選んだか
- 保険——大学指定の保険で十分だったか
- 銀行口座の開設と、学費の支払い方法
- 生活費のまとめ
- 授業と学業の実際
- 成績評価の仕組み——理系と文系の違い
- 課題の頻度——クイズやエッセイの出方
- エッセイにかかる時間
- 関数電卓で困った話——日本の高校では経験しないこと
- 英語力——どう伸ばしたのか
- 「焼けくそ」で始めた友達作りの具体的な方法
- 思考回路を英語に切り替えるために決めたルール
- 「英語ができないと思われていた」と気づいた瞬間——出来事の詳細
- 多言語が聞こえる環境へのストレスと、その対処法
受験準備の進め方を具体的に知りたい方、現地での生活費の目安を把握したい方、英語力をどう伸ばしたかに関心がある方に向けた内容になっています。








