友達のグループ会話が、3秒でわからなくなる。1対1なら相手が合わせてくれるから、なんとか会話は成り立つ。でも3人、4人になった瞬間、テンポが一気に上がって、置いていかれる。スラングがわからない。笑いのツボがつかめない。誘ってもらったご飯の席で、一人だけポカンとしている。
日本ではIELTS 7.0を取っていた。授業の英語は聞き取れていた。それでも、友達同士の会話は試験英語とは全く別の世界だった。帰りたいとは一度も思わなかったけれど、「自分はつまんない人間なんだ」という感覚が、何ヶ月も消えなかった。
海外大学への進学者がいない公立高校で、受験の方法を知っている先生もゼロ。そこから自力で情報を集め、13校に出願してカナダの大学に合格した。なのに、ビザトラブルで渡航が4ヶ月遅れた。英語の壁は、周囲に遅れを取った状態から始まっていた。
今回お話を聞いたのは、カナダ・UBC(ブリティッシュコロンビア大学)のLand and Food Systems学部に通う2年生のM.Kさんです。神奈川県の公立高校から、エージェントを使わずに海外大受験を切り拓きました。(2026年1月取材)
「早めに情報を集めて、早めに動き出したもん勝ち」
M.Kさん
- 出身: 神奈川県の公立高校
- 留学先: UBC(カナダ・バンクーバー)
- 準備: エージェントなし・全て自力
- 英語試験: IELTS 7.0 / SAT 約1400
- 月の生活費: 家賃込み約20万円(シェアハウス)
この記事では、M.Kさんに海外大受験の情報の集め方、IELTSとSATの具体的な対策法、約20本のエッセイの書き方から、UBCを選んだ決め手、バンクーバーでの家賃・食費・保険などの生活費の内訳、治安の実感、そして英語の壁をどう突き破ったかまで、幅広く話してもらっています。
前例のない環境から自力で切り拓いた受験の全貌と、渡航後のリアルを、詳しく聞いてきました。

海外大学を目指すまで
英語が「武器」になった小中学生時代
M.Kさんが海外に初めて触れたのは、小学生の頃に家族で行ったハワイ旅行でした。当時は英語を話せる状態ではなく、「知らない言語が聞こえる」くらいの感覚だったそうです。
その後、親のすすめで英検の勉強を始めます。小学生で2級の受験を考える頃には、フィリピン・セブ島の語学学校にも家族で短期滞在しました。「全然喋れなかった」時期の体験でしたが、こうした積み重ねが英語との距離を縮めていきます。
周りよりも自分が英語を進んでいるという状況で、このアドバンテージをみんなに取り返されたくないなと思って、英語の勉強を自分でちゃんとやりました。
公立の小中学校で、特別な英語環境があったわけではありません。ただ、英検をきっかけに周囲より一歩先に出た英語力が、のちの進路選択を動かすことになります。
「どうせ同じ勉強をするなら、他の人と違うことをしたい」
海外大学への関心が芽生えたのは、中3から高1にかけての時期でした。高校受験を経て、頭に詰め込むだけの勉強スタイルに疑問を感じ始めていたM.Kさん。同じ努力をするなら、他の人と違う方向に使いたい。海外に出ればいろんな壁にぶつかるだろうけれど、それを通じて自分を強くしたいという気持ちと、「海外に行きたい」というシンプルな憧れが重なっていったそうです。
まあぼんやりとですけど、行きたいなとは思っていました。ちょっとやり方がわからないみたいな感じでした。
当時はまだ、海外大受験の方法もわからない状態。ただ「行きたい」という方向だけは固まっていた時期でした。
周りに前例ゼロの環境
M.Kさんが通っていたのは、神奈川県の公立高校。進路希望で「海外大学に行きたい」と伝えても、海外大受験の方法を知っている先生は一人もいませんでした。
本当に誰もいなくて、海外大受験の方法を知っている先生もいなかったので、どうにか先生がつなげてくださった、その人が4個上か5個上の留学していた先輩くらいでした。
先生が調べて紹介してくれたのは、同じ高校の卒業生で海外に進学した数年上の先輩。それ以降、自分でちゃんと海外大学を志望してフォーマルな受験プロセスを経た卒業生は「多分4年に1人くらい」という環境だったそうです。
周囲に留学経験者がいない環境で、すべてが情報を集めるところから始まりました。
受験準備——情報集めから出願まで
一番大変だったのは「情報」
海外大受験で一番大変だったことを聞くと、M.Kさんは即答でした。
実際、自分でももっと早く知ればよかったなということがたくさんあるので。学力などは結局全部情報につながってくると思うのですが、それがなかったことによって悔しいなと思った経験は何回もあります。
日本語でまとまった海外大受験の情報は限られています。M.Kさんが使っていたのは、留学ネットのような日本人向けサイトや、ハーバード大学と東京大学の両方に進学した方が書いた参考本。ただ、こうしたサイトの情報は最新とは限らず、気になった大学があれば結局そのホームページに直接アクセスして、自分で英語を読むしかなかったそうです。
親は英語を話せないため大学のWebサイトを一緒に読むことはできず、エージェントも使っていません。高校の先生が知っている海外大学は「UBCとトロントとハーバードとスタンフォード、UCLA、ケンブリッジくらい」という状況でした。
IELTSとSATの対策
調べ始めたのが高2の夏。そこからIELTSとSATの存在をちゃんと知り、初めて受験したのが高2の1月でした。
IELTSは海外大学への出願で広く使われる英語試験で、4技能(リーディング・リスニング・ライティング・スピーキング)をそれぞれ9.0満点で測り、その平均がオーバーオール(総合スコア)になります。
IELTSの推移
- 高2の1月:オーバーオール6.0(初受験)
- 高2の春(3〜4月頃):オーバーオール7.0
「大体の大学に出願できるギリギリのライン」と判断し、IELTSはここでいったん終了しています。特にスピーキングの伸びが大きく、1月の5.5から春には7.5まで上がりました。
リーディングで使った資料を頭の中で再生できるくらいになるまで繰り返して、一つの文章に対して集中するということを結構やっていました。
M.Kさんの勉強法は、問題を大量に解くスタイルではありません。1回解いた問題の文章を丸ごと覚える方法でした。「単語帳が苦手で文型もまだわからない」と話す一方で、文章ごと音読して英文のリズムや語彙を体に染み込ませていたそうです。スピーキングではIELTSの採点基準を確認した上で、lとrの発音など「ちゃんと発音できています感を出す」ことに力を入れていました。
SATはアメリカの高校生が統一で受ける試験で、数学と英語の各800点、合計1600点満点。数学は日本の高校レベルで十分対応できますが、英語はネイティブ向けの出題になるため、英語学習者にとって壁が高い試験です。
SATの結果
| 科目 | 点数 | 備考 |
|---|---|---|
| 数学 | 満点近く | 日本の高校で数学をやっていれば対応可 |
| 英語 | 約600/800 | 最初は400程度からスタート |
| 合計 | 約1400/1600 | アイビーリーグ目安は1450〜1500以上 |
1400ではトップ校のラインに届かず、「出していいか分からなくて結局使わなかった大学も結構ある」と話していました。
勉強はCollege Board(SATの運営元)の模擬試験を自力で解きつつ、高2の後半からはAscend Nowというオンラインの指導サービスを利用。日本語を話せるスタッフがいないサービスで、最初は苦労したものの、結果的にそこでの英語のやり取りがスピーキング力の向上にもつながったようです。
13校出願、エッセイ約20本
テスト対策と並行して、高3の夏からはエッセイの準備が始まります。
まず取りかかったのは、アメリカの多くの大学が利用するCommon Appというポータルサイトの共通エッセイ。自分の基盤となる大きなエッセイを夏休み中に仕上げ、9月以降は各大学の個別エッセイに移っていきました。
大学のウェブサイトのどういう研究室があってどういう人がやっていてどういう実績があって、生徒に対してどういう機会を与えているかというものをまずインプットしてから書いていきました。
「この人はちゃんと大学のことを調べている」と伝わるよう、研究室や施設の具体名をエッセイに盛り込んでいく戦略でした。
出願したのは合計13校。エッセイの本数は、カナダの大学はほとんどエッセイが不要だったため、主にアメリカ向けで約20本。1校あたり3〜4本のエッセイが必要な大学もあり、1週間に1校のペースで書き進めていきました。テーマは専攻を選んだ理由やその分野への関心が中心ですが、中には「将来のルームメイトに自分を売れる点を5つ挙げなさい」のような変わったお題も。
添削は英語の先生とAscend Nowのチューターに依頼。そこで繰り返し指摘されたのが「日本人的な謙遜」の問題でした。
日本人が出ちゃうところが何個もあって、これはちゃんとその結果として残しているなら言わなきゃとか、数字を出さなきゃとか、そういう強い気持ちを持って書くということは学びました。
実績があるなら数字で示す。成果があるなら明言する。日本の感覚では控えめに書きたくなる部分を、海外の基準に合わせて書き直す。その繰り返しだったそうです。
エッセイをこれから書く人へのアドバイスとしては、「とにかく1本目を早く書くこと」。 1本目で自分の意見やしたいこと、やってきたことをブレインストーミングしておくと、2本目以降の波に乗りやすいと話していました。
推薦状と日本の受験との両立
推薦状の準備にも独特の苦労がありました。M.Kさんが依頼したかった先生は英語を一切話せない方だったため、まず海外大出願の仕組みを説明し、日本語で推薦状を書いてもらい、それを英語の先生に翻訳してもらうという2段階のプロセスが必要でした。
海外大受験を知らない先生方だと、多めに時間を見ておかないと困るというのがあります。
出願の1ヶ月前には依頼しておかないと間に合わない。海外大受験に慣れていない高校では、このスケジュール感の共有が重要になります。
一方、M.Kさんは日本の大学も受験しています。共通テストと早稲田大学の国際教養学部。ただし、これは「行くため」ではなく「今の実力を試すため」でした。
そこを志望して3年間勉強していたわけではないので、ただ経験として、日本だったらどのくらいの実力になるのかなというのは知りたくて。
最も大変だった時期は12月から1月。アメリカの多くの大学の出願締切が12月31日前後、共通テストが1月10日頃、カナダの出願締切が1月15日頃。すべてが集中する時期でした。「日本の受験と海外大の受験の両立に普通に苦しみました」と振り返ります。
学校にいる間は学校の勉強、家に帰ってからはエッセイと大学調べ。高校の成績も海外大受験に必要だったため、定期テストも手を抜けない。基本的にその繰り返しだったそうです。
なぜUBCを選んだか
治安・気候・学費——3つの軸で絞った
13校に出願し、複数の合格通知が3月頃に届いた中から、UBCを選んだ理由は大きく3つありました。
アメリカなどもともとちょっと怖いなと思っていたので。犯罪率や州別の犯罪率などを調べていたくらい、ちょっと治安に不安を持っていました。
海外経験がなかったM.Kさんにとって、アメリカ本土の治安は大きな不安要素でした。出願時期がトランプ政権下だったこともあり、ビザの不透明さや「夜中に街で一人歩ける感じじゃない」という印象が重なって、親と話し合った上でアメリカは候補から外す方向に。
トロント大学も候補でしたが、冬の寒さに加えて、周囲からは「とにかく大変な大学」というネガティブな評判も耳にしていたそうです。マギル大学も同様の理由で除外。バンクーバーなら冬でも極端な寒さにはならず、トロントのように都会の中にキャンパスが点在するスタイルではなく、海と山に囲まれた環境が好みに合っていました。


アメリカのUMass Amherst(フードサイエンス系で評価の高い大学)からも合格と奨学金が出ていましたが、カナダドルとアメリカドルの差を考えるとカナダの方が費用を抑えられるという判断でした。
ギリギリにアプライしたため合格通知は遅めで、「もっと早く申し込んでいれば」という後悔も残っています。UBCに受かっていなければ、カナダの他大学かUMass Amherstに進学していた。そのくらい際どい選択でした。
実際にUBCに来て一番好きなところを聞くと、キャンパスの環境を挙げていました。
海外大に憧れを持っていた身としては、本当に海外大学に来たんだという実感が沸きます。直結の海もあったりするので、ビーチに行けたり、リラックスできる場所もたくさんあって、そこが一番好きなところですね。
キャンパスは広く、その中で生活が完結できるほどの規模。トロントのように都会にビルが点在するスタイルとは対照的で、「息抜きできないと死んじゃうタイプ」というM.Kさんには、勉強の合間に海を見に行ける環境が合っていたようです。
親の反応と費用への向き合い方
M.Kさんの母親は、中3の頃から海外大学の話を聞いていました。ハワイ旅行の際に「ハワイ大学行けばいいじゃん」と冗談で言うくらいの軽い始まりでしたが、英語を頑張る娘の姿を見て、実際に受験すると決まった時には「頑張るなら頑張れ」というスタンスだったそうです。
親にとって一番の心配は、費用ではなく安全面でした。
自分が今までスポーツしてきた上で、怪我や骨折、ドジで交通事故などが多かったので、言語も最初は通じない国に親元を離れていくことに対して、親が一番心配していました。
費用面では、高校受験の時点で行きたかった私立ではなく公立を選び、節約の意味も込めて進学。奨学金も自分で調べていたそうです。海外大の学費が日本の大学と比べてかかることは十分わかっていたため、「申し訳ない気持ちがとてもあった」と話します。
高校卒業から大学入学までの期間には塾講師や家庭教師のアルバイトで資金を準備。渡航後の交通費・交際費・飛行機代はそこから捻出し、学費と生活費はWise(海外送金サービス)を使って親からカナダの銀行口座に送金してもらう形をとっています。
ビザトラブル——4ヶ月遅れのスタート
UBCへの入学は、予定通りにはいきませんでした。
9月入学に合わせて5月にカナダの学生ビザを申請。しかし、この時期はカナダのビザ処理が遅延していた時期と重なり、入学に必要な期限までにビザが届きませんでした。
もうコースも9月からの全部レジストレーションしていて、家も決まっていて、もう全部払っていた状態で、私だけビザが来なくて。
コース登録、寮の支払い、すべて完了していた状態から白紙に。9月の入学を見送り、すべてをキャンセルして、もう一度最初から組み直す必要がありました。期限の9月15日頃を過ぎても届かず、その1週間後にようやくビザが届いたものの、すでに入学には間に合わないタイミング。「4ヶ月間、結構途方に暮れていた」と当時を振り返ります。
ようやくカナダに到着したのは翌年の1月。周囲の学生はすでに大学生活を4ヶ月経験し、スマホの契約も銀行口座の開設も済んだ状態。M.Kさんはそうした人たちに聞きながら、キャンパス中を右往左往する1週間を過ごしたそうです。
「楽しみというよりは、やっと着けた、嬉しいという感覚がすごくあった」。到着時の気持ちでした。
英語の壁——「自分がつまんない人間だと思っていた」
授業は聞けた。友達との会話が聞けなかった
日本では「英語が得意な方」だったM.Kさんですが、現地での英語の壁は想像以上だったそうです。
授業の方が全然聞けました。友達との会話より。
授業は1人の教授が話し、周りは静かに聞いている環境。「なんかのテストのリスニングみたいなもの」で、内容もある程度は理解できていたとのこと。問題は友達との会話、特にグループの会話でした。
3、4人が同時に喋ったりそのグループの会話ってどんどんテンポが速くなっていくので、もう3秒くらいでわかんなくなることが多くて。
1対1だと合わせて喋ってくれるので会話できるんですが、グループの話になった瞬間ついていけなくなっていました。
スラングがわからない。笑いのツボがつかめない。せっかくグループでご飯に誘ってもらっても、一人だけポカンとしている。そんな状態が数ヶ月続きました。
それでも「帰りたい」とは一度も思わなかったそうです。4ヶ月のビザ待ちを経て、日本の大学の選択肢も捨ててここに来ている。帰る理由はなかったけれど、「自分がつまんない人間だなってずっと思っていた」時期だったと話しています。


友達を作る方法は、とにかく自分から話しかけること。寮に入った初日、全員のドアをノックして回り、トイレで顔を合わせた人にも必ず声をかけていたそうです。
自分のことを知っている人誰もいないし、他人の評価も何も気にならないレベルまで自分への期待もなかったので、どうせ英語を喋れないしって思って、とりあえず全員と顔見知りになろうと思って話しかけまくりました。
授業でも1つのクラスに必ず1つのコミュニティを作ることを意識していました。アイスブレーカー(初回の授業の自己紹介タイム)で気が合いそうな人を見つけ、一緒に座れる関係を作る。そこから友達の友達へと広がっていくのがパターンでした。
夏の4ヶ月で突き破った
転機になったのは、5月から8月の夏休み期間でした。バンクーバーに残って夏のコースを取りながら過ごしていたとき、新しいフレンドグループができます。メンバーは全員Chinese-Canadian(カナダ育ちの中華系カナダ人)。
その子たちが結構全員アウトゴーイングな子が多くて、めちゃめちゃ話しかけてくれるし、分からなそうだったらちゃんと後からキャッチアップしてくれる先生みたいな。
起きてから寝るまでその友達たちと過ごす日々。M.Kさんはこの夏、英語に完全に振り切る決断をしました。
一人でいる時間も思考回路を英語に切り替え、邦楽を聞くのをやめて洋楽だけに。インスタのフィードも日本語のコンテンツから海外のものへ。「自分のストレス要因の9割10割が英語から来ている」と感じていたからこそ、英語そのものに全てを集中させたそうです。
文化面でも壁がありました。友達の間で流行っている「six-seven」というミームの意味がわからず、みんなが笑っている中で一人だけ取り残される感覚。周囲で韓国語や中国語など知らない言語が飛び交う環境も、「自分の悪口を言われているんじゃないか」というストレスにつながっていました。ただ、「何を言われてもどうでもいい」と割り切れるようになったことで、少しずつ楽になっていったと振り返ります。
9月頃には、「自分の素を出して英語で喋れる」状態に到達。スラングも理解でき、笑いのツボもわかるようになったことで、人と話すことへの恐怖がなくなったと話しています。
日本人の友達に驚かれたこと
この夏を経て、M.Kさんの中で一つの出来事が印象に残っています。
8月に日本人の友達がバンクーバーに戻ってきた時、M.Kさんの英語力の変化に驚かれたそうです。
よく一緒にいられたねみたいな感じのニュアンスで。英語を勉強するという目的でしか海外の友達とは仲良くなれないみたいな、本心から仲良くなれる人がいると思われていなかった。
「そう思われていたんだ」という気づき。それだけ最初の頃は英語を話せない印象を持たれていたということでもあり、夏の間の変化がそれだけ大きかったということでもあります。
UBCでの授業と学び
UBCは学生数が多いため、1〜2年生の授業は大規模なものが中心です。生物・数学・化学といった共通科目は200人規模の講義室で行われ、M.Kさんの所属するLand and Food Systems(食品科学・栄養系の学部)の専門科目になると60人程度まで減ります。
大きな講義にはだいたいディスカッションのクラス(約20人)が付いていて、その中でさらに4〜5人のグループに分かれてプロジェクトに取り組む形式。「大きな講義+小さなディスカッション+グループプロジェクト」の3層構造になっています。
課題の量について、日本の大学に通う友人に自分の状況を話すと驚かれるそうです。
MARCHの文系とかだと「えっ勉強しないよ」という子が結構多くて。自分の感じを話すと「そんな勉強できるわけない」という感じで言われます。
理系は普段の課題よりテストの比重が大きく、ある授業では成績の84%がミッドターム(中間テスト)と期末テストで決まります。ウィークリーのクイズやプレリーディングの確認テストが1〜2週間に1回、大きなエッセイ課題が2〜3週間に1つ程度。コンスタントに勉強し続ける生活が続いています。文系はリーディングやエッセイの課題がもっと多く、普段の積み重ねの比重が大きいそうです。
日本の高校との違いで印象に残ったのは関数電卓の話。カナダでは当然のように使う関数電卓を、M.Kさんは渡航してから初めて購入しました。テスト中に計算結果が分数表示になり、小数点への変換方法がわからず手計算で解いたこともあったそうです。「みんな電卓に慣れているので、それだけでディスアドバンテージだった」と感じた場面でした。
バンクーバーでの暮らし
住まいの変遷
1年目はUBCの寮でした。1年生は寮への入居が保証されていて、ダイニングホール(いつでも行ける食べ放題のスタイル)がセットになっています。キッチンはついていないため食事は基本的にダイニングホールで、「ちょっと脂っこいな、塩味が強いな」くらいの印象で、お腹が空いて困ることはなかったそうです。
2年生になると状況が変わります。大学の寮にアプライする形式になりますが、ウェイトリストに載ったまま入れないのがUBCの2年生の通例。M.Kさんも例に漏れず、キャンパス外で自分の住まいを探すことになりました。
今住んでいるのは、大学から20分ほどの住宅街にあるベースメント(一軒家の地下部分を居住スペースにしたもの)。2ベッドルームで、香港出身のルームメイトと2人でシェアしています。物件はルームメイトのお母さんの不動産関係の知り合い経由で見つかったもの。ルームメイトとのルールは、消耗品は交代で購入、掃除も交代、来客がある時は事前に連絡する、というシンプルなものです。
日本人じゃないと結構心配という人もいるんですが、全然大丈夫で。ルームメイト的には良かったなと思います。
3年目からは大学の寮に戻る予定。大学運営の寮では、4ベッドルームなら今と同程度の家賃で住めて、スタジオ(ワンルームタイプ)になると月16万円程度まで上がります。
生活費の内訳
2年目(オフキャンパス)時点での月々の生活費は以下の通りです。
| 項目 | 金額(CAD) | 日本円目安 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 家賃 | 1,250/月 | 約13〜14万円 | 2ベッドルームシェア(ベースメント) |
| 食費+外食 | — | 約4〜5万円 | 自炊+外食+コーヒー・タピオカ等を含む |
| 交通費 | 約50/月 | — | 授業料と同時に購入する定期でBC州内のバス・電車が乗り放題 |
| 通信費 | — | 約3,000円 | Virgin Plus・20GBの格安プラン |
| 保険 | 約75/月 | 約8,000〜9,000円 | 留学生の強制加入保険。手術・入院も自己負担ゼロ |
※日本円は本人の体感に基づく概算です
自炊と外食の金額比率はだいたい半々。「よくはないと思う」と自覚しつつ、家計簿をつけて月4〜5万円に収まるよう調整しています。
朝は家で食べ、昼はお弁当を持っていけたら持っていく。無理なら学校で買い、夜は友達と遅くまで勉強してそのまま一緒に外で食べてしまうこともあれば、友達の家で食べさせてもらうこともある、という日々だそうです。買い物はNo Frills(UBC周辺で最も安いと言われるスーパー)や自宅近くのスーパー、韓国系のスーパーを使い分けています。
保険は大学が留学生に義務づけているもので、日本の保険会社には加入していません。
行く前はいるのかなと思っていたけれど、結局みんな持っている人ほぼいなくて。
銀行はRBC。キャンパス内に店舗があり、わからないことをすぐ聞きに行ける点で選んだそうです。口座開設にはパスポートと学生ビザがあれば十分でした。
学費の支払いは、親がWiseでカナダの銀行口座にまとめて送金し、大学のサイトからボタン一つで払う仕組み。日本のクレジットカードで直接払うと為替手数料がかさむため、Wiseでまとめて送る方が安く済むという判断です。
アルバイトは現在していません。1年目は英語のキャッチアップが最優先で、親からも「そんなことやらなくていいよ」と言ってもらえた時期。夏も授業と英語に集中し、直前のタームは1年目に取れなかった未履修コースと2年生のコースを同時に履修して、「信じられないくらいの授業数」だったため、働く余裕はありませんでした。これからバイトを始める予定です。
治安と文化
UBCのキャンパス内は夜歩いても安全で、M.Kさんが住んでいる住宅街も、暗さから怖さは感じるものの、実際に危ない思いをしたことはありません。
アメリカだったら多分夜間ルールを作っていますが、今住んでいる感じ、作ろうと思わないということは多分大丈夫ですね。
1つ注意点があるとすれば、バスの最終が深夜1時頃であること。それまでに大学を出る必要があります。ダウンタウンの方に行くと昼間でも薬物関連の問題を抱えた人がいるのはカナダの事情ですが、キャンパスや住宅街の範囲で生活している分には、大きな問題はなさそうです。
差別もほぼ経験していないとのこと。バンクーバーがもともと多民族な都市であることが大きいようです。一度だけ、カフェで席を外している間に年配の白人男性に席を取られ、「君ら何も知らないんでしょ」と言われたことがあったものの、それ以外は思い当たらないという話でした。
到着して一番驚いたのは、中国系の住民の多さです。
バンクーバーがここまでアジアにドミナントなのを知らなくて。UBC内でも感覚的には4割くらいが中国系かなと思います。
バンクーバーの南にあるリッチモンドという街は「ほぼ全員が中国人で、中国人の街みたいな感じ」。M.Kさん自身の友人にも中国系が多く、会話はすべて英語です。良い悪いの話ではなく、「想像していたよりずっとアジア人が多かった」というのが率直な感想だったと話していました。
これから
M.Kさんには、高校時代から一貫した軸があります。もともとInstagramで「日本×ビーガン」の食を発信していた活動が、海外大受験の課外活動の実績になり、大学の専攻選択にもそのままつながっています。
植物性の方のタンパク質の食品の開発かそれの研究に興味があるので、どっちかですね。
目指しているのは、植物性タンパク質を使った食品の開発か、その研究。植物性タンパク質としての肉を研究する道と、それを使った商品をいろんな人に届けやすくする開発の道。どちらに進むかはこれからの話です。
Land and Food Systems学部では、3年生から自分でフードサイエンスや栄養系など具体的なメジャー(専攻)を選ぶ仕組みになっています。1〜2年生の間は全員が共通のプログラムに所属していて、M.Kさんは今ちょうどその選択を前にしている段階でした。
最後に、これから留学を考えている人に向けてのメッセージを聞きました。
早めに情報を集めて、早めに動き出したもん勝ちだと思いました。自分だけで調べるだけだと日本にいる以上はなかなか限界があると思うので、エージェントでもなんでも、お金がかからないものも多分あると思うので、いろいろ頼って情報を探ることが一番だと思います。
M.Kさんは現在2年生。バンクーバーで、3年生からの専門を選ぶ季節を迎えています。








