共通テスト後に留学を決めた──コミカレからテキサス州の4年制大学に編入するまで

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「自分って本当に英語喋れないんだな」──アメリカに着いて最初の1週間、頭の中ではこう言いたいのに口から言葉が出てこない。何度も詰まってしまう。留学前に一番心配していたことが、目の前で現実になっていました。でも不思議なことに、「日本に帰りたい」とは一度も思わなかったそうです。

留学を決めたのは、共通テスト直後のことでした。結果は微妙なライン。二次試験の準備も間に合わない。そんな時、思い切ってアメリカの大学に行くことを選んだそうです。それも、「日本人がほとんどいないところ」という条件で留学先を探した。

今回お話を聞いたのは、テキサス州のコミュニティカレッジから4年制大学に編入し、今は寮長として家賃も食費も払わずに大学生活を送っているS.Tさん。「高校の延長」と聞いていたコミカレは、予想と全く違っていた。そして4年制大学に編入してから、さらに意外なことに気づいたそうです。

INTERVIEW GUEST S.Tさんの写真

S.Tさん

「英語が喋れなくても、なんとかなる」

  • ルート: コミカレ→4年制大学編入
  • 編入: 3校全て合格
  • 家賃: 寮長で免除
  • 目標: 日本の大学院進学→研究職

コミカレに入ってみると、みんな真面目に授業を受けていました。出席率も高く、ディスカッションにも積極的。「高校の延長」どころか、かなりしっかりした雰囲気だったそうです。そして編入した4年制大学で、S.Tさんは驚くことになります。4年制の方が、むしろ「ゆるい」。

編入先を決める時、3校全てから合格通知が届きました。一番有名なのはテキサスA&M大学。両親は「払うよ」と言ってくれたそうです。でもS.Tさんが選んだのは、違う大学でした。そして今、S.Tさんは家賃も食費も払わずに大学生活を送っています。

真面目に取り組み、工夫しながら留学生活を送ってきたS.Tさんだからこそ、聞いてみたいことがありました。「留学は逃げなのか」と。留学を決めた理由から、コミカレでの生活、編入のプロセス、家賃・食費をゼロにした方法、そして「逃げ」という言葉にどう向き合ったのか、聞きました。

目次

留学を決めたきっかけ──「逃げ」と言われても構わなかった

S.Tさんが留学を意識し始めたのは、共通テスト直後のことでした。

共通テストの結果は「微妙」だった

共通テストの結果は、思ったより点数が取れたそうです。ただ、志望する大学が「微妙に視野に入るか入らないか」というラインで、足切りにかかるかどうかも分からない状況だったと言います。

S.Tさん

時間がなく二次試験の対策ができていなかったので、それよりは思いっきり環境を変えて海外に行きたいなというのが、最初はアバウトな理由でした。

高校時代はスポーツもしていたため、受験勉強に十分な時間を割けなかったそうです。1年浪人するという選択肢もありましたが、それよりも「半年遅れで入れるアメリカの大学」という道を選びました。

父親の一言が決め手になった

S.Tさんの父親は、同じ年齢の頃にアメリカのコミュニティカレッジに2年間留学していた経験がありました。

お父さん自身も留学していたんです。自分が留学し始める時と同じ年齢の時にお父さんも留学していたので、「思い切って環境を変え、国を変えてみるのもありじゃない?」と言われて、「確かに!」と思いました。

「アメリカがいいんじゃない?」という父親の助言が、最終的な決め手になったそうです。

ただ、最初からアメリカを考えていたわけではありませんでした。当初はマレーシアのマラヤ大学も候補に挙がっていたそうです。日本からの距離や、アジア系の食事が好きだったこと、両親が「お前がマレーシア行ったら俺らも行きやすいから」と言っていたことが理由でした。

しかし、マラヤ大学のアドミッションと連絡が取れず、出願期間に間に合わなかったため、アメリカに絞ることになったと言います。

「日本人がほとんどいないところがいい」

コミュニティカレッジを選ぶ際、S.Tさんが父親に伝えた条件は「日本人がほとんどいないところ」でした。

どうせ行くなら、日本人が周りにいて甘えるような環境ではなく、日本人がほとんどいないところがいい!と言って調べていった結果、安くて日本人がいないという条件でテキサス州がヒットしました。

自分を「甘いタイプ」だと認識していたS.Tさんは、英語しか話さない環境に身を置くことで、常に刺激を受け続けたいと考えていたそうです。

家族3人で調べた結果、テキサス州のコミュニティカレッジが「アメリカ内でトップ10ぐらいに入る環境や広さ、安全性」を持っていることが分かり、そこに決めたと言います。コミカレは1校だけ出願し、合格したそうです。

S.Tさん本人が野球をしていてバッターとして打席に立っている写真
IMAGE: S.Tさん本人提供写真

渡米前の不安と準備──「どれだけ耐えられるか」

留学を決意してから出発までの間、S.Tさんにはいくつかの不安がありました。

行ったことのない国での生活が想像できない

一番の不安は、アメリカでの生活が想像できないことだったそうです。

行ったことのない国で、自分がどういう生活をするのかを想像するのが難しかったです。自分は沖縄出身なので、急に東京で生活しろと言われても、どういう生活なのかわからないというような感じでした。それがアメリカだと、日本語もほぼ通じないから。

S.Tさんは幼少期から英語に触れる機会が多く、リスニングには自信があったそうです。父親が英語を話せたため、「この時間は英語で喋ってみようか」という時間があったり、ディズニー映画を英語で見せられていたりしたと言います。

ただ、スピーキングには不安がありました。「どれだけ耐えられるか」が正直心配だったそうです。

母親の心配は「英語、ちゃんと喋れるの?」

父親は「やっぱりな」という反応で、挑戦を応援してくれたそうです。一方、母親は生活面を心配していました。

一人で本当に生きて行けるの?ちゃんとご飯食べれるの?風邪ひいたら誰が世話するの?英語ちゃんと喋れるの?伝えられるの?

「英語が喋れないと始まらないので、そこの心配は最初大きかったのかな」とS.Tさんは振り返ります。

3月から4月が「一番揺らいでいた」時期

気持ち的に一番不安定だったのは、コミュニティカレッジを決める3月から4月頃だったそうです。

コミュニティカレッジを決める3月から4月ぐらいの間、気持ち的に大学がどうなるか一瞬わからなかったのは、気持ち的に一番揺らいでいて、本当に大学に行けるのかなという不安が大きかったです。

TOEFLの勉強は「思いっきり詰め込んだ」

出願にはTOEFL IBTのスコアが必要でした。S.Tさんは、出願の期限がギリギリで、勉強期間は2ヶ月ほどしかなかったそうです。

出願の期限がギリギリで、2ヶ月ぐらいしかなかったので、本当に思いっきり詰め込んだという形でした。

リスニングには自信がありましたが、スピーキングは大変だったそうです。映画やTED、YouTubeを英語で見たり、お風呂で独り言を言ったりして、「無理やり頭を英語だけの脳にする」ような勉強をしていたと言います。

模擬試験を解いている段階で、ボーダーラインを超える手応えがあったため、「落ちる心配はしていなかった」そうです。

渡米後の最初の1週間──「自分って本当に英語喋れないんだな」

アメリカに到着してからの最初の1週間、S.Tさんが感じたのは2つのことでした。

頭ではこう言いたいのに口から出てこない

1つ目は、自分の英語力の限界でした。

本当にスピーキング力はほぼゼロでいったので、いざ授業に出たり、バイト申し込みするときもそうなんですけど、「頭ではこう言いたいのに口から出てこない」ということで何回もどもっちゃったり…

「伝えたいのに言葉が出てこない」という状況が何度もあったそうです。ただ、相手は「自分の見た目が完全な日本人アジア系なので、理解しようと待ってくれた」と言います。

現地の人の話すスピードは「容赦なかった」そうですが、S.Tさんは友達に「自分たちのスピードを変えずに普通に喋って」とお願いしていたそうです。

自分もやっぱそれになりたかったので、最初自分が話した時にゆっくり喋ったりしてくれるんですけど、「いやもうちょっとそこら辺は容赦なく言って!、もうどんどん現地のスピードで喋って!」みたいな形で言っていました。

リスニングは問題なかったため、聞く分には困らなかったそうです。話すのに時間がかかるだけで、バイトの面接もなんとか乗り越えたと振り返ります。

親のありがたみを痛感した

2つ目は、親のありがたみでした。

食事の用意だったり、高校の時は朝練とかあっても親が起こしてくれたんですけど、今大学が始まると自分で起きて、自分で行って、自分で受けて、自分で飯食ってとか、まあ当たり前のことなんですけど、やっぱ自分ですることの大変さですよね。

到着して1週間で洗濯物が「めちゃくちゃてんこ盛り」になってしまったそうです。高校の時は自分で洗濯をする時もあったそうですが、基本的にはお母さんが回してくれていたため、一人で全部やることの大変さを実感したと言います。

「帰りたい」とは一度も思わなかった

最初の1週間で「帰りたい」と思った瞬間はなかったそうです。

いやもうないですね。「こんなに、本当に何も何もできない自分がいるんだ!」ということに気づける。楽しかったですね、むしろ。

「明日どんなやつに会えるんだろう?明日どんなことを学ぶんだろう?」というウキウキモードだったと言います。ネガティブな感情は「多分1個もなかった」そうです。

コミカレでの生活──授業、バイト、友達

コミカレでの生活について聞きました。

「高校の延長」と聞いていたが、思ったより真面目だった

父親から「コミカレは4年制大学にすぐに行かない高校の延長みたいなもん」と聞いていたため、割とワイワイする感じかなと思っていたそうです。

実際には、ちゃんと受けている生徒も多くて。言い方が上からみたいになっちゃうけど、みんな結構真面目に受けているなという印象でした。

内容が難しい分、集中しないとテストも難しくなるので、オンオフをちゃんと切り替えてやっているイメージでしたね。

実際には、みんな結構真面目に授業を受けていたそうです。

全てが「自分次第」のスタイル

コミカレの授業は、高校とは全く違う「自分次第」のスタイルでした。

高校の時は、課題を提出しないと「はい課題提出して」って言われたんですけど、大学では出さなければただ自分の成績が下がるだけ。出せばその分ちゃんと成績がつく。授業に行けばその分学びがあるし、行かなければ学びがない。全部自分次第でした。

高校では課題を提出しないと言われたそうですが、大学では全てが自分次第。このスタイルに、S.Tさんは「結構ウキウキモード」で対応できたそうです。

週1回のディスカッションで輪に入れた理由

英語のクラスと化学のクラスでは、週1回ディスカッションがありました。みんなで円を囲んで、先生がテーマを提示し、グループで話し合って、代表が発表するという形式でした。

英語力が不足していたS.Tさんが、どうやってディスカッションに参加していたのか聞いてみました。

自分は化学が好きだったんで、英語力はないんですけど化学の知識としては割とあったと思います。そこでなんとか自分のつたない英語で自分の持っている知識とかを出すことによって、「え!お前こんなこともわかるんだ!そうなんだ!」みたいなので結構、輪には入っていたような気はします。

化学の知識があったため、つたない英語でも自分の知識を出すことで、輪に入っていたそうです。英語力が不足していても、専門知識でカバーできることを示す経験だったと言えます。

バイト探しは「ひたすらトライアンドエラー」

STさんは、到着してすぐにバイト探しを始めたそうです。父親から「入ったらすぐバイトできるよ」と聞いていたため、キャンパス内を回って声をかけていったと言います。

ひたすら、食堂があったら食堂のボスみたいな人に、「ここで働きたいんだけどボス呼んできてもらえませんか」というので言って、ひたすらただトライアンドエラーですよね。

「今雇ってないよー」「次の学期だねー」と断られることも結構あったそうです。ただ、諦めずに声をかけ続けた結果、食堂のバイトをゲットできたと言います。運とタイミングもあったそうです。

食堂で働くと食費がかからなくなるため、生活費を大幅に抑えられたと振り返ります。

編入のためにGPAを高く保つ

編入するためには、コミカレでのGPAが重要でした。STさんは、教授のOffice Hour(質問を受け付ける時間)に頻繁に通っていたそうです。

GPAは高ければ高いほど有利ではあるのが現状で、その高いGPAを維持するには、やっぱOffice Hourに頻繁に行ったりして。そこで教授と仲良くなると、いろいろ教えてくれたりします。

教授との関係を作っておくことが大事だったと振り返ります。また、友達と一緒に課題をやることで、英語力も上がり、課題の理解も深まったそうです。

4年制大学との違い──「コミカレの方が真面目」という逆転現象

テキサス州の4年制大学に編入してから、コミカレとの違いを感じることがあったそうです。

4年制大学の方が「緩い」

意外なことに、4年制大学の方がコミカレより緩いと感じたそうです。

4年生の大学の方が結構緩いような感じはしますね。出席率もあんま良くなかったり、一限目で朝8時とかの授業だともうほとんど来なかったりとか、イヤホンつけっぱなしで適当にぼーっとしてたりとか

出席率が良くなかったり、朝8時の授業にはほとんど来なかったりと、コミカレより緩い雰囲気だったと言います。

ディスカッションが減り、友達作りが難しくなった

4年制大学では、ディスカッションのクラスがほとんどなくなったそうです。

編入してからディスカッションのクラスが減っちゃったので、喋る機会が減った分、編入後はクラスから友達作るというのはちょっと難しくなっているような気がしますね。

コミカレでは週1回のディスカッションがあり、そこで友達を作る機会があったそうですが、4年制大学ではその機会が減ったと振り返ります。

課題の性質が変わった──「答えが一つじゃない」

課題の性質も変わったそうです。

コミュニティカレッジ時代は、教科書のここからここまで解いてきてねという形だったんですけど、今は「こういう理論があります、それに対して自分はどう思いますか」とか、「どういう可能性がありますか」とか、「あなたならどういうふうにこの問題を解決していきますか」という感じで、答えが一つじゃなくなってくる。

コミカレでは教科書の問題を解く形だったのに対し、4年制大学では自分の意見を問う問題が多くなったと言います。

編入先を選んだ理由──3校合格、でも学費が決め手だった

S.Tさんは、編入時に3校に出願し、全て合格しました。テキサスA&M大学、フロリダ州立大学、そしてテキサス州内の4年制大学です。

テキサスA&Mは学費がネックだった

最初はテキサスA&Mに行こうと思っていたそうです。しかし、学費が大きな問題でした。

A&Mは合格しましたが、学費が進学先の大学よりも1.5〜2倍弱ぐらい高かったので、さすがに手が出せないかなと思いました。名前だけで聞いたらA&Mの方が断然有名ですが、ネームバリューだけじゃなくて、学費も結構関係しているという感じです。

両親は「払うよ」と言ってくれたそうですが、S.Tさんは自分の進路なので、学費はなるべく自分で返せる範囲で、かつ自分の身にもなるということを考えたと言います。

フロリダ州立の奨学金がウェイトリストに

フロリダ州立大学も合格しましたが、奨学金の問題がありました。

最初は学費や奨学金が出るという話だったのですが、急に出せないみたいになりました。フロリダ州から日本人に対してもらえるかもしれない奨学金がウェイトリストで、今学期出せるかわからないという展開になってしまい、フロリダ州立大学は諦める形になりました。

フロリダ州立の方が化学工学の先生が良いなど、調べていたそうですが、奨学金が出なければ通えないという状況で、諦めることになったと言います。

実際に足を運んで決めた

テキサスにいたため、テキサスA&Mと進学先の大学は実際に見学に行ったそうです。

調べもしたんですけど、やっぱ百聞は一見にしかずということで、友達の帰省のタイミングとかに合わせて大学を見せてもらってという感じですね

友達に連れて行ってもらい、実際に足を運んで「こういうところなんだ」と確認してから決めたと振り返ります。

編入時のエッセイと推薦状

編入出願には、エッセイと推薦状が必要でした。

エッセイは1ヶ月かけて準備

編入時のエッセイは、コミカレで仲良くなった英語の先生に添削してもらったそうです。

お世話になった先生にお願いして、何回かオフィスに足を運んで、「こっちの方がいいんじゃない?」という助言をもらいながら、1ヶ月ぐらいかけて準備しました。

出願の締め切りと新学期の開始が重なっていたため、忙しかったと言います。AIを使わず、自分の英語力で書くことにこだわっていたそうです。

推薦状は教授にお願い

推薦状は、授業を受けた先生や実験でお世話になった先生にお願いしたそうです。

Office Hourとかで教授のもとに足を運んでいたこともあって、先生方にお願いしました。先生方も慣れているので、大学名を言うだけで「あのところね」とすぐにわかってくれました。

普段から教授と関係を作っていたことが、推薦状の依頼でも活きたと振り返ります。

生活費と奨学金──寮長になって家賃・食費がゼロに

S.Tさんは現在、寮長として家賃・食費が免除されています。

寮長は「ダメ元で応募した」

寮長の募集を見つけた時、「ダメ元で出してみようかな」と思ったそうです。

食費と寮費が浮くというのがデカいと思ったんで。応募してみたら通って、面接して、じゃ合格だよって言われたんで、ラッキーみたいな感じですね。

食費と寮費が浮くことに魅力を感じて応募し、合格したと言います。

生活費はほとんどかからない

寮長になってからは、生活費がほとんどかからなくなったそうです。家賃と食費が免除されるため、かかるのは通信費くらいだと言います。

コミカレ時代も、食堂のバイトで食費がかからず、友達の家に安く住ませてもらっていたため、生活費はかなり抑えられていたそうです。

奨学金も複数獲得

S.Tさんは、奨学金も複数獲得しています。成績に応じた奨学金や、研究に参加することでもらえる奨学金などがあるそうです。

学費は、バイト代と奨学金、そして親からの仕送りで払っているそうです。バイト代だけで全て払うのは難しいものの、出費が少ない分、貯金はできていると言います。

友達の作り方──バイト先から始まる関係

友達作りについて聞きました。

バイト先が友達作りのスタート

S.Tさんにとって、バイト先が友達作りの最大のきっかけでした。

友達づくりのスタートはバイトですね。コミュニティカレッジでも結構バイトで入ってバイトで仲良くなってというのが多かったです。

コミカレでも4年制大学でも、バイトで仲良くなった人が多いそうです。現在も、バイト先で出会った仲間と週に2〜3回会ったり、テスト前に一緒に勉強したりしていると言います。

ハウスパーティーから、家族とクリスマスを祝う関係に

仲良くなると、ハウスパーティーに呼ばれるようになるそうです。さらに仲良くなると、家族とクリスマスを一緒に祝うような関係になったそうです。

本当に結構仲良くなってくると、スプリングブレークとかホリデー休み、日本に帰るには短い休日とかだと家に呼んでいただいて、友達の家族と一緒にクリスマスを祝ったりとかもできるんで。

日本に帰るには短い休日の時に、友達の家に招待されて、家族と一緒にクリスマスを祝ったこともあるそうです。

様々な人種の友達がいる

S.Tさんの友達は、様々な人種がいるそうです。

満遍なくですね。白人、黒人とかラテン系も。インド、アジア系はやっぱ少ないですけど、それ以外の国は全部一通り話して友達はいますね

白人、黒人、ラテン系など、満遍なく友達がいると言います。会話は当然ですが全て英語だそうです。

文化の違い──ラーメンをすすったら「汚い!」と言われた

アメリカで経験した文化の違いについて聞きました。

一番驚いたのは「ラーメンをすすれない」こと

最も驚いた文化の違いは、ラーメンをすすることでした。

友達と友達の彼女と自分で3人で飯食っていて、ラーメン食っている時にラーメンすすったら、その友達の彼女に「You!」みたいな、「お前汚っ!」みたいに言われて。

「日本でラーメンこうやって食うんだよ」って言ったんですけど、「アメリカではすすんないよ」みたいに言われて… めっちゃ食いにくいじゃんって思いましたね。

「日本でラーメンこうやって食うんだよ」と説明したそうですが、「アメリカではすすらないよ」と言われたそうです。現在は、すすらずに食べる癖がついてしまい、日本に戻ってもすすらなくなったと言います。

仲良くなった人とは将来の話や日本の話をする

仲良くなった人とは、将来どうするかという話や、日本についての話をすることが多いそうです。

やっぱ結構みんな日本には興味持ってくれている感じなので、「日本に行きたいなー」とか、あと自分の故郷の沖縄について「沖縄どんなかー」とか。

沖縄には米軍基地が多いため、友達の兄弟がそこで働いていたという話で盛り上がることもあるそうです。

差別は「されているかもしれないけど気づいていない」

差別を受けたことがあるかという質問に対して、「されているかもしれないけど気づいていない」と答えました。

自分は結構、多分されているかもしれないんですけど、あんま気づいていなくて、逆になんか黒人になんかいじられたらいじり返すというか

いじられたらいじり返すというポジティブ思考で、あまり気にしていないそうです。食堂でバイトしている時も周りに黒人が多く、冗談を言い合える関係を築いていたと言います。

治安について──テキサス州は「過激」

テキサス州の治安について聞きました。

銃声が聞こえることがある

STさんは、テキサス州を「過激」と表現しました。

テキサス州やっぱ過激っすね。頻繁に銃声が結構するとかあるので。

銃声が聞こえることがあるそうです。ただ、現在通っている大学は結構田舎にあるため、そこまで大きな問題はないと言います。

クラブで発砲事件に遭遇したことも

コミカレ時代には、クラブで発砲事件に遭遇したこともあったそうです。

1回コミカレの時クラブに行って、近くでパーンって発砲があって、みんな慌ててクラブから出ていくみたいなのありましたね。

クラブの外から発砲する音が聞こえ、従業員が「こっちに行ってください」と誘導してくれたそうです。

大学は「結構安全」と感じている

現在の大学は「結構安全」だと感じているそうです。キャンパス内は基本的に明るく、比較的安全だと言います。ただ、「出歩かないに越したことはない」とも話していました。

一方で、ヒューストンなどの大都市に行った際には、日本では見られないような光景もあったそうです。場所によって治安は大きく異なるため、場所を選ぶことが重要だと振り返ります。

S.Tさんが現地で撮った自由の女神の写真
IMAGE: S.Tさん本人提供写真

辛かった時期──編入後、友達とタイミングが合わなかった

留学生活で辛かったことについて聞きました。

一人で過ごす時間が多かった時期

編入した後、友達とタイミングが合わず、一人で過ごす時間が多かった時期があったそうです。

編入した後なんですけど、去年くらいに寮長で仲良くなった友達とうまくタイミングが合わず、結構一人で過ごす時間もあったんで、その時は勉強とかはしつつ、「うわぁ友達とどっか行きたいなぁとか」という感じですかね。

日中にタイミングが合わず、一人でいることが多かったそうです。ただ、実験や研究が始まってからは、そういう時間もなくなったと言います。

モチベーションは落ちなかった

モチベーションが落ちることはなかったそうです。

そういう時に今一人だから、じゃあこういう時に勉強しようとか。大学院入試も最近あったのでそれに向けて勉強しようという形でしたね。

一人の時間を勉強に充てていたそうです。また、日本に彼女がいて、電話で「今大丈夫?」と気にかけてくれたため、モチベーションの低下はなかったと言います。

言語の壁を「壁」と捉えない

言語の壁を感じた瞬間はあったそうですが、S.Tさんはそれを「壁」として捉えないようにしていました。

やっぱ喋れないと自分の思いも伝えられないというので苦労はしたんですけど、諦めずに話しかけてよかったなぁというふうに思っていて、話しかけるだけ、話しかけた分だけどんどん成長しているなぁというふうに感じます。

まあ誤解なのかもしれないですけど、成長しているなぁと自分では感じたので、言語の壁を壁というふうに捉えないというのが大事ですかね。

話しかけた分だけ成長していると感じ、言語の壁を「壁」として捉えないことが大事だと考えていたそうです。

自分の良さでもあるポジティブ思考っていうか、そういうので乗り切っていました。「まあなんとかなるでしょ!」というのでやっていましたね。

「まあなんとかなるでしょう」というポジティブ思考で乗り切っていたと振り返ります。

留学は「逃げ」なのか?

インタビューの中で、「留学が逃げと言われることについてどう思うか」と聞いてみました。

実際に留学した人にしかわからないものってあるじゃないですか。その人にとっては逃げかもしれないけど、自分にとってはそれが正解で、自分にとっての逃げがその人にとっての正解かもしれないんで、そんないちいち気にしていたらダメなんで。

「逃げたよ。けどその結果こうなったんだよ」と言えればいいのではないか、とS.Tさんは話します。

自分も友達に言ってくる奴はあんまりいなくて、言ってくる奴は無視していいと思いますね。気にしていたらもうダメなんで。

留学で変わったこと──人見知りがなくなった

S.Tさんは、留学前は「人見知りだった」と言います。

留学する前は「人見知りだなぁ」と思っていたんですけど、今は人見知りせず、日本に帰った際も、研究室に配属してもらった際も、いろんな人にやっぱ自分から積極的に話すようになったり話せるようになったり

「仲良くなれるかというのは別ですけど、話しかけることはできたり、人間コミュニケーションがないと意思疎通できないんで、コミュニケーションの大切さというのは留学で学べた」と振り返ります。

これから留学を考えている人へ

インタビューの最後に、これから留学を考えている人へのメッセージを聞きました。

自分がメッセージする立場なのかわからないですけど、自分の意見としては、さっき言った逃げとかそんな言ってくるやつはまあ無視して、自分が正しいと思った選択をやっぱりし続けてほしいというのと

そして、もう一つ。

留学しているにあたって、自分の費用で留学している人もいると思うんですけど、ある程度の人は親の支援があって、誰かのサポートがあっての留学だと思うので。

そこはやっぱ感謝の気持ちを忘れず、支えがあってできているんだよという気持ちを忘れずに、今できる全力を出してほしいなと思いますね。

S.Tさん自身も、最初の学費は親に出してもらい、その後はバイト代や奨学金で生活費をまかなうようになったそうです。現在は寮長として家賃・食費が免除されています。

続きの記事について

共通テスト直後に留学を決意してから、わずか3ヶ月でコミュニティカレッジに出願し渡米。そして編入時には3校すべてに合格——S.Tさんの行動力には、インタビュー中何度も驚きました。特に印象的だったのは、学費を「自分で返せる範囲」にこだわり、ネームバリューの高いテキサスA&M大学を辞退した判断です。両親が「払うよ」と言ってくれたにもかかわらず、S.Tさんは自分の進路として、自分で責任を持てる選択をされました。

ただ、この記事ではS.Tさんが実際にどう動いたのか、伝えきれなかった詳細があります。

続きの記事では、1月の共通テストから6月の出願まで何が起きていたのか、英語の先生とのエッセイ添削で何を話していたのか、Office Hourで教授とどんなやり取りをしていたのか、食堂バイトを見つけた時の様子、友人に「俺の家来る」と言われた経緯、寮長に応募した時の心境まで——STさんが実際に体験したことを、そのまま書いています。

S.Tさんが実際にやったことを、以下の内容ですべて公開しています。

続きの記事で扱っていること
  • 共通テスト直後から3ヶ月で出願──1月〜6月のタイムライン
    • エッセイは父親に添削「思いをまっすぐ書いて」
    • コミカレは1校だけ出願「出せば受かるよ」
  • TOEFL 2ヶ月で81点──お風呂で一人ぶつぶつ英語を話した
    • 最初は1日5〜6時間、後半は3時間に
    • 模擬試験でボーダー超えたから1回しか受けなかった
  • コミカレでGPAを高く保つ──Office Hourに通い詰めた
    • 教授が答えを教えてくれた「これの答えはこうだよ」
  • 編入3校全合格──英語の先生と10回やり取りしたエッセイ
    • Office Hourで「こっちの方がいいんじゃない」
    • 推薦状は4人に依頼(2人でよかったけど)
  • テキサスA&M合格、でも学費1.5〜2倍で辞退
    • 両親「払うよ」、でも「自分で返せる範囲」にこだわった
    • フロリダ州立は奨学金がウェイトリストで断念
  • 月10ドル生活──到着3日でバイト探し、友人宅200ドル、寮長
    • 食堂を回って「ここで働きたい」と断られ続けた
    • 友達に「寮出たい」と言ったら「俺の家来る」
    • 寮長募集に「ダメ元で応募」したら合格
  • 友達の作り方──バイト先から家族とクリスマスを祝う関係へ
    • 授業でわからないことを聞く→隣に座る→ご飯へ
  • クラブで「パーン」と発砲音──テキサス州の治安
    • 従業員「こっちに行ってください」
    • 夜は基本出ない、一人で歩かない
免責事項
  • 個人差について
    留学の費用、手続き、体験は個人によって大きく異なります。本記事に記載されている金額や手続きは一例であり、実際の費用や条件は学校・専攻・地域・時期によって変動する可能性があります。
  • 制度・法律の変更
    ビザ制度、奨学金制度、就労規則などは変更される可能性があります。本記事の情報は執筆時点のものであり、最新の情報については各機関の公式サイトや専門家にご確認ください。
  • 専門家への相談
    留学に関する重要な判断(ビザ申請、専攻選択、進路決定など)を行う際は、必ず専門家(留学エージェント、ビザ専門家、学校のアドバイザーなど)に相談することをお勧めします。
  • 責任の範囲
    本記事の内容に基づいて行った判断や行動により生じた結果について、当メディアおよび執筆者は一切の責任を負いかねます。最終的な判断は読者ご自身の責任において行ってください。
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この記事を書いた人

現在、海外大学に正規留学中です。
留学をして強く感じたのは、「情報の量より、信頼できる声が大切」ということ。Go Beyond Borders は、一人でも多くの人が、自分の可能性を信じて一歩踏み出せるように。そんな想いで記事を書いています。

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